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人身事故 - 絶望の果て
2009年02月23日 21:51
(感じていることがありこのログを記しています。読んでくださった方で気分を害した方がおられたら謝罪します。こうした事件で心に傷を負った方を揶揄したり中傷する意図はまったくありませんのでどうかご了承ください。)
仕事で東京に出ることが多くありますが、最近気がつくこと。いや、気がつかざるを得ない、と言った方が良い。
人身事故。
これがやたらに多い。JR、私鉄を問わず、東京に出る度にアナウンスや表示板の情報でどこそこ線で人身事故、ただ今運転を見合わせています、と聞く。
その度にドキリとします。
皆さんご存知のように、鉄道における「人身事故」とは通常、身投げによる自殺を意味しています。駅のホームからにせよ、踏み切りにせよ、猛スピードで突進してくる総重量数百トンの鉄塊に我が身を投じることがどれだけ勇気が要ることか。その人にどういう事情があり、そのような結幕に至ったか、私は存じません。しかし、容易ならざる事態があり、死力を尽くしても解決策が見つからず、光が見えない。家族があり、友人があり、会社があり・・・という状況でも、我が身の命を絶つことでしかその袋小路から抜け出せない、と結論し行動するに至ったその絶望の深さに思いを巡らし、余りに気の毒、と私はしばし、黙祷を捧げます。
聞くところでは鉄道会社はそうした行為に及んだ自殺者の遺族に対し、被った被害の金銭的な補償を要求するそうです。家族を失った遺族にすれば泣きっ面に蜂とはこのことで、仮に一家の大黒柱とすれば生命保険は出ない上にこうした補償まで要求される。正にこの世の地獄、という光景が出現します。
真の犠牲者は自殺者ではなくその遺族かも知れません。自殺、という選択をなさった方は、そうしたことにまで配慮をすることが出来なくなるまで追い詰められていた、ということなんでしょう。
これが毎日のように東京圏で起こっている訳です。単に不況のせいだけではないでしょう。
貴重な命は育まねばならない、と思います。追い詰められても、どうか自殺などお考えになられませんよう。生きていればこそ良いこともあります。諦めずに挑戦し続ければ問題は解決できるかも知れません。
どうか、早まったことをなさいませんよう。
このデジログへのコメント
って、これを読んでくださる皆さんには不必要なお願いであることを祈っております。不況何するものぞ。人生ガッツです。難事にへこたれず、強く生きてください。
自殺の手段で鉄道を選択した時点で家族に多額の補償が来るのは自明の理。故に自殺方法として鉄道は論外です
鉄道会社で請求はマチマチみたいですね。莫大ではないみたいですが…後先考えないのが自殺者心理かも
それだの覚悟があれば、もっと強く生きられるのにね…
残念です<(_ _)>
死ぬ勇気があれば何でも出来るのに…と思います
そこまで追い詰められた人間は死しか考えられないのかな…
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