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日本のカレーライスか
2008年05月09日 23:08
華麗なるカレー魂の記事に笑いました。
http://moemoe.homeip.net/view.php/11963
よりコピペ
先に感想をば
言われてみれば、中毒性があるかも。それにしても長。
ゴーゴーカレーなんて見たことないのは田舎者だから?
ココ壱はたしかにイマイチだが、学食のカレーはいいね。
僕はつぶれたけどなんなん亭が良かったかな。
以下コピペ
★「日本のカレーライス」を偏愛する米国人記者が語る『ゴーゴーカレーNY店』
日本のカレーは、世界で最も完成されたカレーだ。これに異を唱える人がいるとすれば、理由はただ1つ、日本のカレーを食べたことがないからだ。
インドやタイの、カラフルで舌がヒリヒリするほど辛いカレーならよく食べる、という人はいるだろう。
中には、和食レストランで好奇心に駆られ、いつもの照り焼きチキンでなくカレーを注文したことのある人もいるかもしれない。そしてひょっとしたら、そのカレーの上には、日本でおなじみのトンカツまで乗っかっていたかもしれない。
だが、日本のどこでも5分歩けば必ず1軒は見つかる、ランチメニューがカレーしかない日本のカレー専門店でカレーを食べたことがなければ、この至高の料理を味わったことがあるとは言えない。
何も旅行通を気取りたいわけではない。ただ、日本のカレーチェーンは、これまで米国本土には上陸していなかった。
ところが昨年5月、『ゴーゴーカレー』が米国進出を果たし、マンハッタンのミッドタウン、タイムズスクエアの角を曲がってすぐのところに小さな店をオープンした。それ以来、ゴーゴーカレーは米国で正真正銘の日本風カレーを、東京のサラリーマンが30分の昼休みにカレーをかき込む店と同じスタイルで提供している。その味は、私が米国でこれまで食べたどの日本風カレーをもはるかに上回る旨さだ。
なぜそんなことが言えるかといえば、私が重症のカレー中毒だからだ。
ヘロイン中毒者がヘロインを注射するのが大好きなのと同じように、私は日本のカレーを愛している。
ヘロイン中毒との唯一の大きな違いは、ヘロイン中毒は長期間ヘロインを断てば中毒でなくなる点だ。
いったん日本風カレーの中毒になると、米国に帰っても中毒が治ることはない。もう一度日本のカレーを食べたいと願いながら日々を過ごし、また東京に行って日本のカレーをもっと食べられるよう貯金に励むことになる。
初めてあの恍惚とした気分を味わえば、それはもう忘れることはできない。私はそれを、金沢大学の学食で経験した。日本人学生の大半が毎日行列を作って購入しているのが、照り焼きや寿司ではなく、カレーだと言うことに私は気付いた。
それはどう見ても、焦げまくったチャウダーを、大きな皿によそった米飯の上からグロテスクにぶっかけたという風情の、茶色くてドロドロした物体だった。しかも、最後のとどめを刺すかのように、学食がその日用意した揚げ物がしばしば上に乗っかっていた。たいていはトンカツだったが、チキンカツのこともあった。ときにはチキンフライド・ステーキ[米国南部の料理で、牛のステーキ肉をフライドチキン風に揚げたもの]――といっても、日本の学食で働く女性が作れる範囲でのそれだが
――も登場した。
誰が最初に私にカレーを勧めたのかは覚えていない。だが、その、天にも昇るような味わい!インドのカレーとは似ても似つかない食べ物だった。
もちろん少々スパイシーだが、全体的には甘みと塩味が効いている――その豊かでクリーミーな味わいを出すのにどんな材料を使っているのか、私にはほとんど分からなかったが、クラックコカインが入っていることはまず間違いないと思われた。
そして、カレールーはその他の食材、すなわち粘り気のある米飯の純粋な味わいや、カリッと揚がったパン粉、脂肪たっぷりの豚肉とも完璧にマッチしていた。
またそれは、私の知る限り、スプーンでガツガツ食べる、唯一の日本食だった。
その後、私が学食に行って、カレーの入った大鍋に直行しなかったときがあるとすれば、それはカレーを絶とうと無駄な試みをしたときだけだ。その日以来、私はれっきとしたカレー中毒となり、日本のあちこちのレストランでカレーを注文し、一番おいしいカレーにありつけるのはカレー専門店であることを発見した。
最も数の多いチェーン店は『CoCo壱番屋』だったが、東京に行くと、『カレーショップC&C』や『リトルスプーン』、ゴーゴーカレーなど、さらに多くのカレー専門店があった。特にゴーゴーカレーは、東京のビデオゲームの聖地である秋葉原に店舗があるので便利だった。
そんなわけで、日本に初めて1年間滞在した後、故郷のコネティカット州に戻ったときは、嬉しくもあり悲しくもあった。ボストンでもう1年、学生生活を送った私は、当地の日本人街でカレーを食べさせる店を探したが、どうにか日本のカレーと呼べる味にすら出合うことはできなかった。
卒業後日本に舞い戻り、ホテルにスーツケースを置いて文字通り一番最初にしたことといえば、独特の薄茶色をしたカレールーを1年ぶりに味わうために、最寄りのCoCo壱番屋を探すことだった。
その後も、日本を訪れるたびにきまって真っ先にカレー専門店に足を運んだが、もうその前に荷物をホテルに置いてくることさえしなくなった。カウンター席ばかりの狭い店に、「ガイジン」のXLサイズの服を2週間分詰め込んだ巨大なカバンを持ち込もうとするたびに、従業員が私を横目で見たものだ。
文化のるつぼで、日本人街もあるサンフランシスコへ引っ越したときには、ようやく母国で日本のカレーを食べることができると思った。しかし、ここまで読み進んだ皆さんはもうお気づきのことと思うが、私の期待は裏切られた。
日本のカレーを食べたいと友人に言うと、和食と米国料理を融合させた妙な店に連れて行かれた。
カレーを注文すると、上に薄切りトマトと下ろしたパルメザンチーズが乗っていた。吐き気を催す味だった。
サンフランシスコの日本食レストランの多くがカレーをメニューに載せていたが、それはきまって後から追加されたメニューだった。誰も注文しないし、実際に注文してみればその理由がわかる。
カレールーは、一番ましなものでもたいてい水っぽくて風味に欠ける。最悪なものに至っては、見た目も味も、冷えた茶色い泥水のようだ。
こう書けば、私が先日ニューヨーク市を訪れ、何の気なしに『Google』で「56番街の近くの日本風カレー店」というキーワードで検索をかけて、ゴーゴーカレーを見つけたときの気持ちをご理解いただけると思う。
[カレー店]『リトルスプーン』のほうがもっと好きだが、贅沢を言う気はなかった。あと20分ほどで閉店という時間だったが、店までは20ブロックほどしか離れていなかった。私はタクシーに飛び乗った。
ところが、運転手は行き先を間違え、私はタクシーに乗りながら、着くころには絶対店は閉まっていると確信していた。閉店の5分前、午後9時50分きっかりに、私は通りの角から18メートルほどの距離をダッシュし、何とか閉店前に店内に入った。
私を待っていたのは、東京を約14坪分だけきれいに切り取って、ニューヨークの「ガーメント・ディストリクト」に移し変えたかのような場所だった。
ゴーゴーカレーは、近所に店舗を構える『吉野家』のように、にぎやかなタイムズスクエアのど真ん中にあるわけではないが、通りさえ間違えなければ見逃すことはない。派手な黄色と
赤の日よけ、英語と日本語で書かれたカレーライス屋を示すのぼり、チラシで覆われた窓が目印だ。
ゴーゴーカレーの店内は、日本の国内の店舗と同様に、新聞記事の切り抜きや日本の有名人の支持者からのメッセージやサインやお勧めが貼られ、店の壁はそれらで埋め尽くされている。
しかし、大部分は松井関連のものだ。ゴーゴーカレーに集う人々は『ゴジラ』松井のファンであり、ゴーゴーは日本語で55、即ち松井がニューヨーク・ヤンキースに移籍する前、読売ジャイアンツで身につけていた背番号を意味する。ここでは松井がホームランを打った日は主要メニューが全て55セント引きとなる。
私はメニューが傲然とそびえ立つのを見て勇気づけられた。それは唯ふたつの事を問いかける。
即ち「どれだけ沢山カレーを食べたいか」と「上に何を載せるか」である。ゴーゴーカレーはカレーソースのかかったライスを5ドルで売る。が、これだけを注文するのは、貴方が見込みのないアマチュアであることを自ら告白する様なものだ。少なくともカツを載せるべきだろう。ゴーゴーカレーは伝統的なトンカツとチキンカツのトッピングを提供している。
しかし、正しいカレー中毒者はチーズを注文する。それは通常はズタズタの細切れにされてソース上に盛大にぶちまけられる。もし汚らしく聞こえるなら誤解だ。貴方は初めてそれを食す日に己の過ちに気付くだろう。チーズは熱々のカレーソースに溶け、カレーの複雑な味の組み合わせに、さらにクリーミーな風味と食感を加えるだろう。
最後に、貴方が30歳の誕生日を迎える前に心臓発作を起こす可能性も厭わないのであれば、私が最初にそれが可能であることに気付いて以来ずっとそうしている様に、カレーにカツとチーズの両方を載せることも可能だ。
さらに色々なトッピングが妥当な料金で追加出来る。
1ドルで茹で卵と玉葱のピクルス、2ドルで追加のカツ、ソーセージ、或いは、エビ。貴方の頭がおかしいなら、流し台みたいにデカイ皿に盛った特大カレーを注文してもいいだろう。
グランドスラムカレーは12.5ドルでチキン、ポーク、卵、エビとソーセージ。ワールドチャンピオンカレーは25ドルで、さらに追加のエビとソーセージ、二人前のライスとソース
総量5.5ポンド(約2.5キログラム)。ワールドチャンピオンカレーの注文は1日当たり5食までに限定されているが誰がそんなに喰うというのか。
私のお勧めとして、カレーというバッファローウィング(訳者:「脂ぎったメインディッシュ」位の意?)に対する付け合せとしての千切りキャベツを挙げよう。それは単なる添え物のように思うかも知れないが、脂ぎった肉と澱粉の塊をたいらげた後は、それを食することが貴方の可哀相な消化器官に対する
義務であり償いである様に感じるだろう。
概ね一食10ドル以下で済むだろう、特に飲み物として専らレジ横のピッチャーの水を注文するならな。
私はポークカツカレーとチキンカツカレーの2つを注文した。もちろん、ジャーナリストとしての使命感からだ。
ゴーゴーカレーのカレールーは、東京で一番というほどではないが、上位の部類に入る味だ。
熱々で甘くて風味にあふれ、クリーミーで豊かな味がする。
「僕は日本のカレーを食べたことがあると思っていたけど、間違いだったみたいだ」。翌日、昼食にゴーゴーカレーへ連れて行くと、『ワイアード』誌の記者Clive Thompson氏はこう言った(もちろん、私はその日もゴーゴーカレーへ昼食を食べに行ったのだ)。
水曜日の昼時、こちらに住む日本人と思しき客たちで店は満席だった。
こうした日本人たちも、カレーを愛する――おそらくは私以上に――人々だということを理解しなくてはならない。カレーライスは日本人のソウルフードだ。米国の子どもたちがマカロニチーズをガツガツ食べるように、日本の子どもたちはカレーライスをガツガツ食べる。
以前に東京で見た看板によると、平均的な日本人はラーメンを週に1回食べるが、カレーは週に4回食べるらしい。だからゴーゴーカレーが、この心なごむ定番料理を、おおむね日本人が母国で慣れ親しんでいるのと同じやり方で提供する米国初の店舗だという事実を、米国在住の日本人が見過ごすはずもない。
前スレ
【米国】「日本のカレーライス」を偏愛する記者が語る『ゴーゴーカレーNY店』 [5/1]
http://news24.2ch.net/test/read.cgi/news5plus/1209628685/
この日本を代表する料理が、米国指折りの多文化地域でも大人気になっていないのは本当に不思議な話だ。しかしあるいは、それほど不思議ではないのかもしれない。大都市圏に住む人々の多くは、タイ風カレーやインドカレーを食べたことがあっても、週に4回も食べたりはしない。
彼らは日本のカレーが、それらの国のカレーとは全く違う、別の料理であることがわからないだろう。
いったいどうすれば、昼食に茶色いドロドロした料理を食べる気持ちを米国人に起こさせることができるだろう? 私の経験では、無理やり食べさせるしかない。
Thompson氏はとても気に入った。私はこれまで、多くの友人や一緒に日本を訪れた人々に、私と一緒にカレー専門店に行ってカレーを食べてみるよう勧めてきたが、その結果、私がこれほどカレーを愛する理由をたちまちはっきりと理解しなかった人は、ただの1人もいない。
だから、ニューヨーカーの皆さんに言いたい。私が日本のカレーの中毒になっている理由を知るためだけでも、ぜひゴーゴーカレーを訪れてほしい。最高に便利のいいイーストビレッジにも2号店がある。
ゴーゴーカレーが提供するおいしい日本の代表的料理を食べて、サンフランシスコにも支店がオープンするまで、店の利益に貢献し続けてほしい。サンフランシスコ店がオープンすれば、私はきっと、店の稼働率を格段に上げるほどに通いつめるだろう。
このデジログへのコメント
シーフードカレーと野菜カレーが最近お気にです。
そういえば最近カップヌードル食べてないです。
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