- 名前
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- 千葉
- 自己紹介
- 流れに抗わぬまま ただ惰性に溺れ 人生に揺蕩う 眠れぬ宵に 現の伽を想い 閨所に独り...
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電網恋愛論01
2007年12月15日 14:53
ネット恋愛という単語が一般的にどれほど認識されているかはわからないし、誰かがしっかり定義をしたかも知らないけれど。とにかくそれは、大きく二つに分類できる。
ネットがきっかけではあれど、そこから実際に出会ってより親密になっていく、いわゆる普通の恋愛の延長となるもの。そして、ネット内だけの関係で完結する、バーチャルなもの。
前者については、出会いという過程がネットを通じてのものであるというだけで、特に説明はいらないだろう。しかし後者は、若干わかりにくい、もしくは、理屈ではわかっても理解しがたいかもしれない。いつの世も、新しく生まれたものが万人に受け入れやすいとは限らないものだ。
長くなってしまうが、ネット恋愛について考えるには、まずネット社会への関わり方から考えなければなるまい。
ネット社会への関わり方は、これも大きく二通り考えられる。素の、リアルな自分のまま何かを考え、言葉を発する場合。そして、ネット人格を用意する場合。
前者にとって、ネット社会はあくまで現実の延長。手紙や電話の代わりにメールを用い、あるいはチャットを用いて会議や雑談をし、ブログで日記を綴る。
何かのツールとしてネットがあり、別に必要不可欠なものではない。時間や距離の短縮等、色々と利便性があるが、それはそれだけのこと。
対してネット人格という在り方は、これはネット内にしか存在し得ない。ネット社会がなければ成立しない。ネット内での振る舞いをそう呼ぶのだから、まぁ当然といえば当然なのだが。
さらにいうならこのネット人格は、意図的なものと無意識的なものがあるだろう。
私自身も経験しているが、自分と全く接点のなかった他人だからこそ、思い切った相談ができたり本音で話せたりということがある。相手に対しても、見ず知らずの自分なのに親身になって相談にのってもらえるという嬉しさを覚えることもある。ネットの匿名性は、日常のしがらみや肩書きから離れた自分を出せる要因になるだろう。
自分という肩書きすらもない場所だからこそ、意図せずして普段と違う自分が出せてしまうということはある。普段ストレスが溜まっているのかなんなのか、匿名性を盾に暴言を吐く輩がいるのには困ったものだが。
自分の新たな一面の発見と、それを受け入れてくれる環境。この予期せぬ自分でいられることが心地よく、ネット依存となることもあるらしい。心理学についてはよく知らないが、自分を認めてくれる、そんな場所がある。きっとそれは、それだけで快感だ。リアルな現実に息苦しさを覚えるような人間にとっては、尚更。
なりたい自分に簡単になれる。自分を責める人、気に入らない人とは簡単に縁が切れる。
現実逃避の手段としては、大変出来がいい。しかしネット社会とは、もっと前向きな付き合い方をして欲しいと思う。だかまぁ、そのあたりの話は別の機会に譲るとしよう。
話を戻そう。
意図的に用意されたネット人格は、いわるゆネカマ・ネナベ(以下ネカマ)やサクラといったものだ。悪意のあるものから無邪気なものまで、動機も手段も様々だが、あまり歓迎されるものではないだろう。
念のため言っておくと、必ずしも「サクラ=ネカマ」というわけではない。世の中には女性のサクラもいるし、サクラとはいえないネカマもいる。またサクラは、ある職業の通称でもある。メールオペレーターというものがそれだ。
堂々とメールレディ募集としているところもあるし、大都市でやたら時給のいい24時間体制のメールオペレーターならば、サクラの求人である可能性は高い。最近はサクラ経験者による本なども出版されているが、それによると何人もの女性のプロフィールが予め設定されており、その設定に基づいてメール作成をするらしい。一人で何人分ものメールを送ったり、勤務交代時には矛盾がないように引き継ぎをするとか。こういったサクラは、ネットという舞台の上で設定された役割を演じるロールプレイであるともいえる。
そういう点を踏まえると、企業による仕事としてのサクラと、個人が行う小遣い稼ぎ目的のものは、厳密には区別して考えるべきなのかもしれない。
ロールプレイといえば、ネットゲーム(以下ネトゲ)についても触れておかなければならないだろう。しかしここでは、ネトゲにはネトゲなりの人間模様、恋愛事情がある、と述べるに留める。
ネトゲもまた広大な世界であり、そこにしかない要素、動機があり、それに伴う様々な現象がある。いずれはネトゲのみに関して一考するだけの価値はある。
最近話題のセカンドライフについても気になるところではあるが、残念ながら今の私にはスペックが足りない。今までのネット社会で起きたことは、同様にセカンドライフ内でも起こりうるだろう、とは思う。
ネカマについては、何も知らないという人は今やほとんどいないだろうと思う。いわゆる「ネットおかま」のことである。
彼らの甘い言葉に釣られた男性や、女性にしかわからない悩み等を相談してしまった女性も少なからずいるだろう。ネカマと知らずに会いに行って監禁された事件まである。ネカマと関わってよかった、という人は稀だと思う。
だが世の中には、下手に同情するのも失礼かもしれないが、同情を禁じえないネカマもいる。性同一性障害の人がネットに接続した場合、である。
仮にネカマを「生物学上の性別と異なる性別を演じること」と定義するならば、彼女らはその心のあるがままにあるだけでネカマと判断されてしまう。もちろん彼女らに悪気はないだろう。彼女らにとって、極当たり前のように女性として接してもらえるということがどんなに……きっとそこには、私たちが想像できる以上に複雑な心の動きがあることと思う。
どうも論点が落ち着かず申し訳ないが、ネカマにも色々いる、ということを知ってもらえばとりあえず十分だ。
前置きが長くなってしまったが、いよいよ次は本題に入る。
このネカマと呼ばれる彼らは、ネット恋愛について考えるとき、ある重大な問題に気付かせてくれるのである。
このデジログへのコメント
なるほどね!!考えさせられるね 年代によるのかもしれないけど 俺は”あくまで現実の延長”
だな!!
んー…
性同一性障害への同情は無理。一つの病として認められているのだろうが「甘え」としか見れないし
最近、特に感じてます。このネットの世界・・
おお!
全何回で完結するのか?!
カミングスーン!笑
ログ見ていただきありがと。カオルさんのプロフに「ただのフリーター」とありますが「自宅警備員」はダメ?
納得の論文^^又ゆっくり拝見しますね。私の場合、ネトゲ(チャット・メール)2年目です。今デジログ・・
2ヶ月ぐらいご無沙汰してました^^゙、まだ、ログ書いててくれて嬉しかったです^^。
コメ返ありがと。「自宅警備員」の言葉の響きは、「ヒッキー」を連想させてしまいましたか?失礼しました。
長編大河ドラマが期待できそう~(笑)
う~でもここのところ更新頻度だと
終りが見えないかな…心配
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