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- もう海外在住29年、定年もそろそろ始まり、人生のソフト・ランディング、心に浮かぶこと...
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今はどこを見ても中国のことばかりだなあ
2008年08月09日 04:15
開会式を間近に控えオランダでももう何週間も前からオリンピック関連でさまざまな中国報道がメディアに連日現れる。 そのスタンスは日本のものとかなり違うようなものもあり、とくにスポーツに平行して中国というその国についての掘り下げたものが多いなかにそういうものがあると思われる。 中国に対する知識は日本よりは古くからあるとしてもこの四半世紀がアジアでは日本の報道が多かったのに比べて特に今の時期には日本は影も形もない、という印象はぬぐいがたいし、これも日本自体の国力の弱体化が露呈してきていることがそれに輪をかけているのかもしれない。
チベットと中国国内の人権問題、経済、政治に渉るものがここに来てスポーツの祭典を契機にしてメディアのいい材料になっている感がある。 センセーショナリズムはある程度不可欠だとしてもポリティカルコレクトのメディアにとっては神よりも尊い(報道の)自由と正義に関して今格好の猟場であるのが中国なのだ。 それに近年の経済での驚異的な世界進出に関連して過去も現在もその安い労働力供給地や市場としてのメリットでは充分潤っている、日本を含めての欧米諸国の、統制が行き届いている、別の見方をすれば自由ということを抑えた体制から発展してくる将来の経済大国としての中国を押さえ込もうという西欧の怖れや思惑をに沿った経済戦争の場のプロパガンダとも重なりメディアの「高尚な」自由と正義キャンペーンが中国の一般民を逆なでする現象がみられるのだ。 昨日も大国中国を無視できないブッシュ・アメリカ大統領が鼻息の荒かったフランス大統領とともにその数ヶ月前とは打って変わった態度で開会式に出席するといい、その中国に入る前、タイでの異例な自由に関する牽制スピーチをしていたことにもその政治経済的コンテキストからは充分納得のできることである。 自由はアメリカに都合のいいニシキのミハタなのだ。
勿論、中国の人権圧迫の事実には枚挙に暇がないし、一般の中国人にはそういう西欧の、あなたたちには報道されないけれど実際はこういうことがおこっているのですよ、という報道の鼻もちならない高潔な教師よろしい「教え諭す」スタンス、態度に反発していままでのアンダードッグコンプレックスを燃料として愛国心に火が着くのも分からなくはない。 それは日本でも大分前に経験していることであるのだが、嘗て脱亜入欧を掲げていたニッポンもこの40年ほどの経済成長のご褒美として嘗ての南アフリカで特別白人扱いされた地位を保ちつつも国内では今は外に目を向ける必要も外に出ようとする意思の感じない若者達が蔓延する風潮の中、このイベントも金メダル獲得をめぐって煽り立てられた熱血ドラマとしか映らないのかもしれないし、せいぜい食い物関連で毒餃子の怖い国、というイメージが再生産されているぐらいだろう。
そういうことを思ったのは昨夜放映されたオランダのドキュメンタリー番組がチベットに自由というこの数年の足跡を辿ったヨーロッパ各地での様子を地味に報道しておりその中で各国在住の中国人たちがこのオリンピックを推進するキャンペーンを各国の首都で集会を繰り広げていたその光景を見てでのことだった。 アムステルダムのダム広場では集まった在住中国人たちを抑えて中国政府の宣伝担当官がいつもながらの報道ジャーナリスト対応文言でチベットは国内問題、干渉無用を繰り返し、スポーツに関するトピックだけにしか返答をしないとオランダのインタビューワーに、我々はこのような成功を嬉しくも誇りに思うと加えて答えていたのだが、そのうしろでオランダ在住の中国人の若者達が普段は外には出さない感情を露にして祖国の誇りを熱烈に放射していたことにも関係する。
近年の成金や名を成した華僑は別にしても一般には本国外の中国人は出稼ぎとその後続世代が殆どである。 それは中国に限らず世界中、国力の低い地域から高いところに移動しその差を自国に送金、家族やひいてはそれが国の財力にもなるという出稼ぎのクラシックな仕組みであり、日本も戦前戦後はハワイ、カリフォルニア、ブラジルなどに移民を多く送り込んでいる。 しかし、中国の伝統と量には他のどの国も及ばないだろう。 そして、その結果、世界中どこを眺めても中国人はいる。
いつか聞いたものにこんなジョークがある。オランダの村に必ずあるものは、3つの教会と中華料理屋、それにもう一つ付いているものがある、それは中華料理の持ち帰りのビニール袋についいてくる、インドネシア料理には不可欠なサンバルという激辛の唐辛子ペーストだ、というのだが、ついてくる、というところに捻りがあってSambal bij(サンバル付けましょうか)というどこでも聞かれるその中国人の発音とそれぐらいしか普通のオランダ人がわかる「中国語」がない、ということ、どこにもついてくる、をかけた、中国人には少々不快なジョークである。 これを私に語った無頼は私を中国人だと思い何を言っても受け入れるのか現地語が分らない中国人に対する、他人種にも同様な様々な危ういジョークの一つとしての発言だったのだ。 私を日本人だと分ると態度を変え自分はホンダのバイクに乗っているとその半可通のマッチョを誇示したのだった。 どこにもこういう輩はいる。
近年、中国人の観光客が増えていてそれは必ずしも中国外に住む華僑や台湾、シンガポールにアメリカの中国人とは限らない。 ときどきあちこちで団体客として見られる観光客を観察していると20年前の日本人がこれだったのだなあと察せられる。 現に中国人観光客に対する各国の対応はすでに20年前から日本人を経験しているので楽だと言うし日本人向け体制を中国人体制にシフトしているところが殆どだと幾つかの国でも報道されていた。
それでそんなことを思いながらオランダ高級日刊紙NRCの毎月第一土曜についてくる小冊子を見ればここでも他聞に漏れず中国特集だ。 オリンピック以後の中国特集として、中国の未来、漢字の意味、中国人の写真ポートレートなどのしっかりとした構成だ。 様々な問題点を指摘し、孝敬、関係、和、吃(食)、銭、禮、陰陽、面子など漢字を分析している。
特に感慨深かったのは最終ページの、ロンドンのブティックで手提げバッグの売り子として働く若いアジア人女性販売員12人のバッグを前にぶら下げた均等スペースでの正面写真、服装ポートレートだ。 この雑誌の意図なのか、現在過熱気味の中国一辺倒でも実際のアジア、若いファッションでは皆目そこから国が現れてこないことを今の報道熱にたいしてジョークにしているのかそれともアジアでは中国が他を飲み込んでいることを言いたいのかともとれるものだ。 私はほぼ30年ほどオランダに住んでアジア人に関してはどこから来たのかは街頭で大体見分ける自信はあった。 あった、というのは過去形で、今は中年以降のでは分るものの、若者に関してはこの写真を見て引導を渡されたような気がする。 日頃、何かの折には町で日本人かと見える若者には声をかけるようにしているが、この10年ぐらいからぼちぼちその当る確率が下がりはじめており今では散々な結果だ。 もちろんこの10年ほどで町中で見かける日本人が大きく減っているということと韓国、中国からの渡航者が増えている、ということもあるのだろうが、それでも20年ほど前は香港、シンガポールから来る若者が日本の若者とその顔つき、服装は似ていてまぎらわしいなあと感じていたくらいだったものだが今はこれだ。
この写真を日本で見せてもだれもこれがロンドンで撮られたアジア系売り子の写真だとは思わなく日本で大量に消費される若者向け雑誌の掲載写真だととられるに違いない。若者の間ではその思想信条は別としてアジアグローバリゼーションが進行している。 いや、それも世界のパックスアメリカーナ、アメリカ化の変種なのだ。
世界中、何処にも中国は存在しその世界の中心で華と咲き誇るのが国名であるその生命力を一丸となって発揮しているのだ。
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