- 名前
- キツネガスキ(旧エディスケ)
- 性別
- ♂
- 年齢
- 32歳
- 住所
- 神奈川
- 自己紹介
- 優しく優しく。相手を思いやることが大切だと思います。お互いに満足し合える関係性になれ...
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【お題日記】今気になってる人とかいる?
2026年04月26日 07:26
気になっている人が居る。
その人は恋愛経験が少なく、持病があり、生活能力も低く、趣味に没頭してしまうタイプだ。
その人を支えてあげたい。守ってあげたいと思うが、それが本当にその人のためになるのか。自分以外に適任が居るのではないか、と否定的になってしまう。
だが、私はその人のことを放っておけない。自己満足だとしても、その人を助けたい。
「助けたい」という願いの裏側に、鋭利なナイフのような「傲慢」が隠れているのではないか。そう自問自答するたびに、私の心は冷たい泥の中に沈んでいくような感覚に陥る。
その人が趣味の世界に没頭し、現実の生活から遊離していく様は、美しくもあり、危うくもある。社会の歯車に馴染めず、持病という名の重りを引きずりながら歩くその背中を、誰かが支えなければならないのは明白だ。しかし、その「誰か」が私である必然性はどこにあるのだろう。
私は聖人ではない。その人を支えることで、私は「誰かに必要とされている」という甘美な毒を食らっているだけではないのか。その人の生活能力の低さを補うことで、結果的にその人から自立の機会を奪い、共依存という名の檻に閉じ込めているのではないか。そう考えると、自分の差し伸べる手が、救いの手ではなく、その人を縛り付ける鎖のように思えてならない。
世の中には、もっと専門的な知識を持ち、もっと潤沢なリソースを割ける人間がいるはずだ。もっとふさわしい「正解」を持ったパートナーがいるはずだ。客観的に見れば、私はただの不器用なエゴイストに過ぎない。
だが、理屈を積み重ねても、感情がそれを容易に追い越していく。
その人が趣味の話をするときに見せる、あの星が降るような瞳。生活の荒波に削られ、疲れ果てて眠る横顔。その脆く、しかし純粋な魂の輝きに触れたとき、私の「正解」を求める思考は停止する。たとえ世界中の誰もが「もっと適切な人がいる」と言ったとしても、今、その人の震える手を取れる位置にいるのは、私なのだ。
もし私が手を離せば、その人は深い闇の中へ消えてしまうかもしれない。その恐怖を前にして、適任者探しなどという現実逃避は許されない。自己満足だ、偽善だ、と自分を責める声が頭の中で響いても、私はその罵声を飲み込んでその人の隣に居続けるだろう。
愛とは、相手を完成させることではない。共に未完成のまま、不格好に支え合いながら、泥濘の中を歩き続けることだ。たとえ私の支援がその人を甘やかす結果になったとしても、その責任をすべて背負う覚悟だけはある。その人が「助けて」と言えないのなら、私がその沈黙を読み解けばいい。その人が歩けないのなら、私の肩を貸せばいい。
いつか、その人が私を必要としなくなる日が来るかもしれない。もっとふさわしい、光に満ちた場所へと旅立つ日が来るかもしれない。その時、私は微笑んでその人を送り出せるだろうか。今はまだ分からない。
けれど、今はただ、この胸の疼きに従いたい。
「守りたい」という衝動が、たとえどれほど独りよがりなものであったとしても、私はそれを私の真実として抱きしめる。誰かのために生きることは、結局のところ、自分のために生きることと同義なのだ。そして、その人のために流す汗や涙こそが、私の欠け落ちた人生を埋めてくれる唯一のピースなのだから。




このウラログへのコメント
そうなんですね
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