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ワンコイン妻

2022年07月31日 13:05

夫が運転するキャンパー仕様ハイエース小松ICから北陸自動車道の上り車線に入り加速をしていました。
そして、瞬く間に安宅PAに到着しました。
夫にお願いをしてこのPAに来るのは既に80数回になります。
夫と私は前の座席から後ろのリビングに移動し、駐車している5台の大型トラックに目をやりました。
「どれにする?」夫はトラックから目を離さずに呟きました。
「一番右に止まっているのにしようかな!」
私は夫に軽くキスをした後車を降りて、そのトラックに向かいました。
初めの頃は心臓が飛び出すのではないかと思えるくらいドキドキしながらトラックに向かっていた私でしたが、今では今夜のお相手はどんなドライバーなんだろうかと考えられるくらい余裕が持てるようになりました。
でも、初めて会うドライバーに声をかけるのは毎回緊張しますし、その緊張感の後の快楽が堪らずに何度も主人にこのPAに連れてきてもらっているのです。
私は新潟ナンバートラック助手席側のステップに乗り、カーテンで閉じられている窓ガラスをノックしました。
3度目のノックカーテンが開き窓ガラスが下ろされました。
30代後半だと思われる男性ドライバー(一度だけ女性ドライバーだったことがあります)は驚いたような顔つきで私を見つめ「どうしたの?」と聞いてきました。
私は「トラックに乗せて!」と言うと、その男性一瞬キョトンした顔をしました。
「もしかして、ワンコイン人妻?」
私は微笑みながら頷きました。
ドライバーは一旦私にステップから降りるように促し、中からドアを開けてくれました。
夫から私が見えるのはここまでです。夫はこれからトラックの運転席の後の仮眠室で繰り広げられる私とトラックドライバーとのセックスの様子を想像し、脳を焼爛れさせながらペニス勃起させるのです。

私は初体験を済ませるまでは性欲が強い方だとは思っていませんでした。
オナニーを覚えたのは小学5年生のときで、それからは親に隠れて殆ど毎晩のように自慰行為をしていました。
高校2年生の時の初体験の時も痛みより快感の方がだんぜん勝っていたことを今でも覚えています。
4度目くらいのセックスの時だったと思いますが、初めて膣で絶頂を迎え、それが何度も波のように押し寄せてくる自分の身体に大変驚き、自身の淫らさを悟りました。
男性が一度の射精の間に私は何度もアクメを迎え、男性に2度、3度、4度目と切りなくセックスを求める私に男性達は呆れはて、「お前は、性欲が強すぎる!」とよく言われました。
私は22歳の時、友人の紹介で5歳年上の夫と知り合いました。夫との交際が始まる前までの私の性遍歴は誰にも絶対に知られたくない乱れきったものでした。
その頃の私には10人の固定した男友達がいました。その10人の一人ひとりが私と個人的なお付き合いをしていると思っていたと思います。
私は生理期間中以外はほとんど毎日会社の帰り10人の男たち一人ひとりと順番にデートしていました。
もちろん、目的はセックスです。私は高校卒業した頃から毎晩セックスをしないとイライラするようになっていました。
女友達居酒屋に行くたびに、男から声を掛けられ、逢うようになったのが10人の男たちでしたが、それ以外の男と一夜限りのセックスをしたことも沢山ありました。
夫とは1年間の交際を経て、私が23歳の時に結婚しましたが、交際期間中でも夫(その時は彼)に会えないときはセックスフレンドと関係を持っていました。
夫(その時は彼)と交際が始まり始めてセックスした時、私が淫声を上げながら何度も快感絶頂を迎える姿をみて驚いたようです。
夫はお付き合いが始まった頃、私の過去の男たちのことが気になったようで、それを問いただしたことがありました。
私は「忘れちゃったけど、3、4人かな」と答えたことを今でも覚えています。
前にも書きましたが私達は1年間の交際を経て、私が23歳を迎えた時で結婚しました。
周りからは早すぎないかとの意見も少なからずありましたが、私は結婚すれば夫と毎日安定的なセックスができると考え決心したのでした。
結婚してからの1年間は生理期間以外は毎晩セックスし、休日には朝、昼と夫を求め続けました。
そうして24歳の時、妊娠しました。私の性欲はこの妊娠で一段と強くなったのです。
昼間からセックスしたくてしたくてしょうがなくなっていました。
仕事中でもいきなり性欲が湧いてきて、トイレでオナニーをすることで性欲を解消していました。
夫は流産を恐れてなかなかセックスを求めてこなくなりました。

25歳の初夏に私は夫の立ち合いの元、女児を無事出産しました。出産後一年近く経ち、育児にも慣れてくると私の性欲が再び目覚め始めてきたのです。夫にセックスを求めました。しかし、私が必死に性技を駆使しても夫のペニス勃起することはありませんでした。
夫は私の出産を見てから私を一人の女(雌)として見るのではなく、娘の母親としてしか見れなくなってしまったのです。
私は夫が出勤した後、性欲を満たすためオナニーに耽りました。しかし、夜になり再び性欲が目覚め隣に眠っている夫をセックスに誘っても私の欲求にこたえることもない夫に隠れ、トイレの中でオナニー性欲性欲を解消するようになりました。

出産から3年が経ち、私は28歳になりました。
これまでの荒淫のせいでしょうか?それともオナニーのし過ぎ?それとも夫とのセックスレスのせい?
一年くらい前から生理痛が今までにないくらい激しくなり、出血量も増えていることに気づき、婦人科で診察を受けました。
一週間後の婦人科医の診察結果は「子宮腺筋症」というもので、医師から早く手術を受けた方が良いと勧められました。
2回目に主人と一緒に婦人科医に行き、膣内から「単純子宮全摘手術」を受けることが決まりました。
手術後、7日間で退院しました。それから3カ月経ち痛み止め薬も必要なくなり、生理痛からも私は開放されました。


手術から10年が経ち、娘は中学生2年生になっていました。
主人とは相変わらずセックスレスが続いていて、術後1年くらい経ったころからまた、私のオナニーが復活していました。
中学校夏休みに入り、娘の亜美は1週間の予定で、奥能登部活ソフトボール)の合宿に行きました。
ちょうどそんな時、娘の幼稚園時代からのママ友、陽子さんから、飲み会のお誘いがありました。
陽子さんは私が卒業した高校の2学年先輩で、私が出産する前まで同じ職場で働いていました。
陽子さん:「うちの娘も部活合宿福井に行っているの、美咲、ご主人も出張なんでしょ!昨日、亜美ちゃんから聞いたわよ。久しぶりに昔のように呑みに行こうよ」
私:「うちは私しか居ないのでいいんだけど、陽子さんは大丈夫なの?どこか素敵なお店があるの?」
陽子さん:「旦那のこと?あんなED野郎はほおっておけばいいの!土居原か竜介の居酒屋の方が気楽でいいんじゃない!前に行ったことあるんだけど「個室居酒屋 〇庵はどう?」
私:「わかったわ、お任せする!」
陽子さん:「じゃカトウで予約しておくから7時にお店に来てね!」
私はお店の方に予約名を告げ、個室の引き戸を開けると、すでに陽子さんは席についており、その向かいに男性が座っていました。
陽子さん:「来た来た!私の隣に座って」
私は陽子さんの隣に座りました。
陽子さん:「先に言っとかなくてごめんなさいね。こちらは同級生山田さん!今夜飲みに行かないかと誘われたんだけど、先約が有ると言ったら俺も一緒したいというので、連れてきちゃった。嫌だったぁ?」
私:「私はいいんだけど、私がいるとお邪魔じゃ・・・」
陽子さん:「美咲、何言ってるの!私たちそんな関係じゃないし、じゃ一緒に飲みましょう!」
私たちは生ビールのジョッキで乾杯をしました。
陽子さんの同級生だという男性は俳優玉山鉄二似でお話もとても上手なうえ、私たちへの気配りもとても素晴らしく私はすごく好感を持ちました。
あっという間に時間が経ち、陽子さんがそろそろお開きにしないかと提案したとき時計は21時30分を過ぎていました。
店を3人で出ると、陽子さんは駅前からタクシーに乗ると言い、私たちと反対方向に行きました。
山田さんは私に「もう一軒いきませんか?」と声を掛けてきました。

つづく

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