- 名前
- Revenger
- 性別
- ♂
- 年齢
- 59歳
- 住所
- 京都
- 自己紹介
- 年齢が年齢だけに経験だけは豊富です 自分が格別Sだとは思いませんがこれまでのお相手が...
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今朝の表の続きです あなたの最大モテ期、忘れなれない出来事②ヨーロッパ編
2020年05月10日 21:49
今日のお題はこれ!
今朝の続きをこのお題を借りて記してみます
イギリス
全てが新鮮で毎日がたまらなく刺激的でした
運良く労働者階級の家に住むことができました 中上級家庭などにステイになれば地獄です 食事は別 メニューも冷たくて品祖 同年代のKeith ってパンク狂いの息子がいてついた晩に意気投合してレコードたくさん聴いたな Keith が何言ってるかさっぱりわかんなかったけどお互い知ってる音楽聞けばそれでオッケーパブデビューしたのもその晩、ビリヤード、やったのも初夜でした(笑)ビールが強いぼく見て驚いてました(笑) 向こうの街灯は黄色くて帰り道別世界に来たなぁって感じたの鮮明に覚えています語学校に通い始めます日本人の大人が数名、あとはヨーロッパ、南米、中東、アフリカ、さまざまなところからきてる「大人」たちに囲まれました 何を言ってるのかさっぱりわからない でもわからないもんはわからんと言うしかないので聞き返してばかりの日々 先生の発音は綺麗で少しずつ会話ができ始めます 2週間もすれば日常生活で困ることはなくなります だって人間が暮らすだけなので所詮やることは同じです みんなの輪の中に入ってなんとなく聞き取れてなんとなくカタコトで返していくようになりますペルーから来てるカルロスっていうオッサンと仲良くなって彼は国際法を学ぶとても優秀な人物で英語を使えるようになってからは大学に入っていきました
彼がぼくに付けたあだ名はmosquitoモスキートー そう、「蚊」でした(笑) 痩せてましたからねぇ(笑) 3週間目くらいの頃でしょうか まあまあ会話にもヨチヨチ歩きでもついていくようになった頃、「○○←(ぼく)、君何が好きなの?」という普通の問いがきましたカジュアルな雰囲気の中で、vocabularyもないし、普通に「遊ぶのが好き」とガキの答え みんなは「えっ?」の表情 もう1回言いました I like to play. 訝しげな目で見られなにやらぶつぶつ言われながら去っていかれました え、なんで?何がダメなん?自問、そして自答 もしかしてI like topray.と聞こえたんじゃないのか、日本では今でもそうですがRもLもラリルレロで片付けられます 急いで辞書めくりました ありましたよpray 意味、「お祈りをする」愕然としました 17の日本のガキが好きなことが「お祈り」って、そりゃひかれますよね 練習しましたよ LとRの音 自分では解らないけど意識して使うと相手には違う音できちんと区分けされる 冗談でもなんでもなく Iloveyou.のつもりが I rubyou.と聞こえてしまいドン引きされるという現象は起きます rub は「こする」「ぼくはあなたをこすります」と言い放ち告白そるのですからそりゃ千年の恋もぶっとびますね(笑)そんなこんなでなんとか日々これ修行 会話を重ねて行きます 3ヶ月ぐらいになるとまあまあ自分でも英語が伸びてる感を感じます そんなある日「○○、なんでイギリスに来たの?」と聞かれます たくさんの大人の中で 「英語の学習」シーン 「うん、それはそうだけどそれから???」??英語だけ学びにわざわざ来てるなんていうことが信じられない様子 「英語できるようになって何になるの、夢は?何になる?日本の政治は?選挙は何歳から?誰の金でここに来てるの?大金持ちなのか?」質問は止みませんでした その時確信したこと させられたこと英語を学ぶんじゃない英語を使って何を学ぶか感じとるのか、自分は何者か、どう生きていくのか、これがぼくの人生の学びの出発点でした それから地球儀がぼくの友だちになり、自分探しの旅と学びと、本気がスタートしましたロンドンに行ってホームで徹夜したり、パンク軍団に弄ばれて死ぬほど怖い思いをしたりしたけど、けど楽しかった 83年、ローリング・ストーンズのコンサートにも行けました 当時、ローリング・ストーンズを生で観るなんて想像すらできない時代 薬中バンドが日本に入国できるなんて土台無理 振り返ってもいろんな経験をしました 親への感謝は限りなく強まりそれと同時になんでも吸収してやろうという塊のような人間だったんだろうなって思いますヨーロッパにたくさんの友人ができては帰国していく そんな日々、スペイン、イタリア、フランス、スイス、ポルトガル、西ドイツ、みんな年上だけど仲良しになりました とりわけイタリアの女の子Giovannaは格別でたくさんデートしたな(笑)
年が明けて1月、語学学校に通うかわりにユーロパスというものを購入しヨーロッパに一人旅に出ました 2等車はヨーロッパ乗り放題
イギリスで出会った友だちのところに男女問わず泊まらせてもらい 2ヶ月間、電車代含めてトータル二万円の一人旅でしたフランスから大大大好きなスペインを周りポルトガルへ それからスイス、イタリア、思いでは果てしないです その後スペイン南部アンダルシア地方には何度も足を運ぶことになります 憧れの地、コルドバを離れるときはホームで一人、号泣したのを覚えています 「絶対にまたここにくる、戻ってくる」と誓って列車に乗ったな
グラナダでは夕陽に照らされるアランブラ宮殿を川越しにぼーっと見つめてたら現地に住んでる綺麗な日本の女性に誘われてフラメンコに連れて行ってもらいしこたまワインを飲み、とても良い雰囲気に、、。外国ではぼくは絶対に日本人とは交わらなかったけどこの人は特別だったですね 美しかった 泊まってくれて良いよって朝方誘われたけど「なぜか」丁重にお断りしたこと、後悔してますね(笑)でも断ったから今も覚えてて、ホイホイついて行ったらもうきっと忘却の彼方でしょう せめて外国にいるときくらいは、大好きなアンダルシアにいるときくらいは清く、という皆目見当もつかない「貞操観念」が働き この謎の観念はその後も旅する事にぼくを覆いました 旅は一人エッチはしない、せめて外国では みたいな 可笑しいな、
帰国
帰国してからの自分は脱け殻でした 一つ学年が下の子たち自己紹介で「さん」とか「くん」じゃなくため口で話してくださいと言ったのを覚えています 担任には1年間ど真ん中の1番前の席にしてくれとお願いし実際そうしてもらいました けど一通り授業を受けてみて実につまらなく、特に英語の授業は辛かった ぼくが目の前にデーーんと座ってるからせんせーも辛かったろうなって思います 面白くなくて毎朝11時出勤(登校)がスタートします 好きな本を読んで好きな歌を聞いたり訳詞をしたり あんまり朝来ないのである日担任が「○○、頼むけぇ朝から学校きてくれ、欠課時間だけはどうにもならんのんじゃ、卒業してくれんとワシも困る」と哀願され「わかりましたー」と快諾し朝型シフトに切り替えました(笑)朝から登校しお昼に帰る その頃はもう誰もぼくに話してくる人はいなかったですガールフレンドは絶対に作らないと決めていたし何ら迷うこともなかったです ただ不真面目は続き、書道の課題提出など近くの女子生徒の下書きを「それ、ください」とお願いしもらって名前だけ書いて提出、評定「9」とか(笑)センセーってホンっとに適当なんだなぁってわらってました それでも世界史の補習は好きだった 土曜日の放課後 ひたすら あと保健室も憩いの場だった 新任の養護の先生で赤ちゃん連れて保健室にいました 始業のチャイムが鳴るとみんなは教室に帰らされるんだけどぼくは「○○君は、ここにいてね」って言われてましたエコヒイキじゃーって他の男子生徒はブーブー言ってたけど、その保健室の先生は「そうよ、私は○○くん、好きじゃけぇ贔屓しとるんよ、だって○○くんの話はあんたらと違って面白いけぇ」となんだか居直ってて たくさん話したなぁ 四年後教育実習で訪ねた時、まだいらして、ぼくのみすぼらしい格好(友だちの高校時代のブレザーとネクタイ)を見て哀れんでネクタイとシャツプレゼントしてくれました ぼくは大学時代、所謂リクルートスーツ等一着も買いませんでしたバイトの金は全部一人旅へ
やっぱりふざけた人間でしたね
あー、大学まで行けなかった
大きな挫折と信じられない出来事が待っているのでどうかチャンネルはそのままで
お願いします
今日はおしまい
読んでくださった方、
ありがとうございます
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