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ぼんち

2016年03月19日 05:33

ぼんち

大阪では、良家の坊ちゃんのことを、ぼんぼんといいますが、根性がすわり、地に足がついたスケールの大きなぼんぼん、たとい放蕩を重ねても、ピシリと帳ジリの合った遊び方をするやつには『ぼんち』という敬愛をこめた呼び方をします。そんな大阪らしいニュアンスをもったぼんちは、現在の大阪から次第に姿を消しつつあるようです。それだけに、ぼんちという特異な人間像を、今書き止めておきたいというのが、この小説を書いた私の大きな出発点です」と、山崎豊子さんは、小説ぼんち」のあとがきに書いていたが、現代の大阪に「ぼんち」がいないという原因の一つには、「日本の民法」問題があるという。個人でそれだけの金を自由にできないということである。たいていのところは、株式会社に変っているし、個人では、税金問題もあって、そんなに湯水のように金を使えない。ほとんどが、社用族。そんなところに、昔のような「ぼんち」が出るわけがない。どんなに遊んでも-という、遊びができないわけだ。
文化の発展はそういう昔気質の「ぼんち」の出現をさまたげてしまったという。「ぼんち」-それは、ぼんぼんの理想像である。お嬢さんのことを「令嬢」というようなものだそうだ。つまり、呼び名としては存在しても、実際には使われない言葉なのだ。三井ナニガシの令嬢とはいっても、実際に呼ぶ場合には「お嬢さん」ですむ。それと同じで、呼ぶ場合には、「あにぼん」「なかぼん」「こぼん」と区別する。三人以上なら、「あかぼん」「しろぼん」と、色で区別する法もあるそうだ。それはともかくとして、最近、大阪財界では、「社長になるよりは、『ぼんち』になりましょう」という言葉がはやっているそうだ。つまり、社長大阪だけでなく、日本全国に何十万人もいるが、「ぼんち」は大阪ですら数少ないからだ。塩野義製薬の社長塩野孝太郎氏が、「塩野義のぼんちだす」と山崎豊子さんに挨拶して、山崎さんを感激させた話もある。

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