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ドキュメンタリーフィクション・ファザーコンプレックス

2016年02月10日 00:32

父は、東京六大学伝統私立校卒業し、有名企業に就職
身長こそ高くはないけれど、筋肉質で引き締まった体。
運動神経がよく、とくに走るのが速かった。

顔は、俳優蟹江敬三雰囲気が重なる。
小学生の頃にドラマで、彼が巡査役で出ているのを見て
何だか変な気持ちになったのを、ぼんやり思い出す。
父に似た顔をした人が、人の好い役だったのが不思議だった。

父は恐らく、高給取りだったろう。
子どもに、親の収入を教えるべきではないという教育方針から
私は長く、我が家の経済状況を知らなかっただけでなく
一般的なお金に関する知識が、かなり欠落していた。

2~3年おきに買いかえる車は、数十万程度と思っていたし
いつまでも社宅住まいだったので、家を経てるのに1億くらいかかると思っていた。
年に1回家族で3泊程度の国内旅行をし、そのたびにとの土地の有名料亭に行くので
両親は、すごい食道楽だと勝手に思っていた。
家族で過ごす時間が、少しでも良い思い出になるようにという
気遣いだったのだと、母から聞かされるまでは
そんな親の想いに、全く気づかなかった。

父が乗っていた車が、一体どの程度の価格だったのか
一度の家族旅行に、どのくらいのお金をかけていたのか
そこから計算して、父の給与はいくらくらいだったのか。
分かるようになったのは、本当にごく最近だった。
外からみれば、私はぬくぬくと育てられていたお嬢様になる。


姉の通院やリハビリの関係で、私の小学校入学にあわせ引っ越した。
その半年もしないうちに、私は初めて喘息の発作を起こすことになる。
身内の中に喘息持ちはいなかったので、両親も私に何が起きたのか分からず
息が出来ないと訴える私に、うろたえていた。
前後して、少し弱い程度だった肌も、一気に悪化。
6歳から親元を離れる21歳まで、身体はボロボロだった。

真夜中に発作を起こし、痒みと痛み苦しさから、私はひぃひぃと
泣いてばかりいた。しばらくは同情して、背中をさすったり
水を汲んでくれたりしていた父が、ある時、限界がきたように
私を殴りつけて、怒鳴ったのを覚えている。

「姉の面倒だけで大変なのに、お前まで面倒をかけるのか。
 命にかかわる病気ではないから、もっと我慢しろ。
 お前の泣き声を聞くと、イライラする」

突然豹変した父。
私は、その後、火が付いたように泣いた。
翌日のことは、思い出せない。

もともと病的な潔癖症だった父は、リビングテーブルの上に
糸くずや、ほこり一つでも落ちていると不機嫌になる人だった。
部屋にある観葉植物も、葉っぱを一枚ずつティッシュで拭いていたし
どんなに体調が悪くても、朝晩の入浴ができないとだめな人だった。

だから、私の肌が爬虫類の鱗のようになり
フケのような皮が落ちるのを見るだけで
気分が悪くて、たまらなかったのだろうと思う。
そして、それを直接、娘に対して言ってしまう人でもあった。

当時は、まだ様々な情報を収集できるネット環境はなく
両親は、とにかく肌に効果があると言われているものを
片っ端から、私に与えてくれた。

アロエがいいと聞けば、育てた生葉のすりおろしを
私に飲ませたりお風呂に入れてくれたりしたし
漢方薬でいいものがあると聞けば、遠方の病院や店舗だろうと
父は休みを潰して、私を連れていってくれた。
でも、効果は一向に出なかった。

「お前は、顔だけはそこそこ見られるけれど
 腐ったような体だし、頭もさして良くもないよな
 生きてても、大した価値はない人間なのに
 金だけがかかる」

父は、普通の雑談でもするかのような顔をしていた。
父について詳細に語れる思い出は、この中学2年の時が最後で
その日以降、なぜか父だけでなく、家族で過ごしたであろう時間を
私は、ほとんど思い出せなくなった。

多分、変わらずに酷い言葉も言われたのだろうと思う。
逆に両親は、私を自慢の娘と話していたこともあるという。
高校受験大学受験で、どう進路を決めたのか
一人暮らしを始めるとき、どんな話しをしたのかさえ
ぼんやりとしか思い出せない。


21歳で一人暮らしを始めてから、ストレスが減ったことや食生活の変化で
今までの努力が滑稽なほど、肌があっけなく治ってしまった。
そして喘息の発作も、滅多に出なくなった。

家を離れてからは、なかなか帰省をしないでいたが
その罪滅ぼしとして、両親の誕生日記念日には、欠かさず贈り物をしていた。
それについてのお礼感想を、父からもらったことがないと思っていた。

どうせ父のことだ、気に入らずに返品・交換でもしているのだろうと
気にもかけていなかったのだが、父は毎回、お礼の電話をくれていたという。
それは、今の旦那も言っているので、間違いないのだろう。

姉の介護や両親の手伝いが、いよいよ必要になってくる今になって
私は家族と過ごしているであろう時間の記憶が、あまりにも欠落するのが分かり
病院で検査を受けた。私が、父を拒絶するあまり、覚えていられないのだという。
私は実家に行くと、すぐに眠ってしまうし、寝て起きると大抵のことは
忘れるという、随分調子のよい技を、知らぬ間に身に着けていた。
苦い記憶だから、思い出さないようにしていたのだと思っていたが
思い出そうとしたら、その思い出ごと消えていたという訳だ。

以降、両親とのやり取りは、手紙やファックスが中心となった。
父の几帳面な文字で、感謝の言葉や私の体を気遣う言葉が並んでいるのを読むと
一体、何が本当にあったことなのか、分からなくなってくる。


私は、きちんとお付合いした男性が、3人いた。
3人に共通しているのは、背が高く、温和で口数が少ないこと。
そして、目がどの人も、切れ長で細い。
どの男性も、父にそっくりな目をしている。

ここでは、父と同じ年齢の男性会員がいると
反射的にログを見にいってしまう。

私は、父からの愛情に飢えていたのだと、初めて実感した。

このウラログへのコメント

  • やじ 2016年02月10日 07:48

    DVに対する反応は様々で、研究が進んで色々な原因がわかってくるけど、人は大小あれ、色んなものにぶつかって、育ってきたんだと思います。

  • あにす 2016年02月10日 15:29

    > モチモチのきさん
    体力の衰えた今、発作が続いたら、多分、疲弊して死にます。
    生き残れて、よかった・・・

  • あにす 2016年02月10日 15:39

    > やじさん
    様々な情報が入るようになって、酷い虐待受けてたわって
    感じです。そこも何だか、もう過去のことで他人事のような。
    案外私は、図太かったのかもしれません。

  • あにす 2016年02月13日 00:59

    > julianさん
    猫アレルギーの方、多いですね。
    犬よりも毛が細いからなんでしょうか。

    父は、その場の感情だけで物を言うような
    そういう人でした。多分、幼稚な人だったんです^^;

  • RyuTa 2016年02月13日 16:30

    いいお父さんだなぁ(笑)
    これを読む限りでは
    お父さんには問題はなく
    お母様に落ち度があるね。
    これは、親子関係論の基本事項なんだ。
    暇ができたら説明する。

  • あにす 2016年02月13日 23:42

    > RyuTaさん
    家庭で頻繁に接触する母親ではなく
    社会的立場や異性性が、より人格形成に強い影響があるとか。
    それとも両親が持つ夫婦関係の影響かな・・・
    説明されるまで、答えは調べず考えてみます。

  • 銀之助 2016年02月25日 19:56

    家族との思い出は少なからず自身の人生観にも影響しますよね。私もそうでした。幼い頃から家出を繰り返したときの気持ちを、あなたのログでたくさん思い出しました。
    でも、今が幸福であることが大切ですよね。

  • あにす 2016年02月26日 01:46

    > 銀之助さん
    コメントありがとうございます。
    過去の体験は、解釈次第で変えやすいなと
    書いていて思うことがあります。
    過去の出来事は、自分の幸・不幸の
    言い訳にならないと実感します。

  • ハナブサ 2016年08月14日 17:07

    喘息はなった人しかわからない苦しさがありますよね。本当に死ぬこともありますからね!私も長く患っていました。何度も入院もしました。お父様のことは壮絶な事実なんでしょうね!少しショックを受けました。

  • あにす 2016年08月20日 09:52

    > HIDE★さん
    コメント、ありがとうございます。
    喘息は、自分も周囲も辛いです。
    同情と苛立ちからの、暴言だったのかな。
    父親を理解するのは、難しいです。

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