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ある日

2015年08月14日 17:46

西の空が茜色に染まる頃、その老いた男は公園の丘の上にあるベンチに一人座っていた。
毎年、8月の半ばになると強く昔を思い出す。
男は元特攻隊員であった。あの年の夏、訓練場で終戦を告げるラジオ放送を聴いた。
死なずに故郷に帰れた。家族はとても喜んだ。
だが、その一方で彼を「裏切り者」「非国民」を罵る声も多かった。
彼はそれらの声を黙って真摯に受け入れた。
「俺が今生きているのは、先に爆弾を抱えて海に散った同士がいたからだ」
「生きているのではない。俺は彼等に生かされているんだ。もう俺一人の命じゃない。」
戦後復興時期を彼は「同士の思いを無駄にせぬよう、しっかり生きて社会に貢献したい」と感じていた。
当時は未だ珍しかった貿易商社に職を求めた。「俺達を苦しめた外国の連中を知りたい。なぜ負けたのか、その理由を知りたい」そんな動機からだった。
実家は兄夫婦家業を継いだ事もあり、もはや実家に居座るは迷惑だろうという思いもあった。
「両親の面倒を診てくれる。だから俺は家を出て自立しなくては」それだけで彼は幸せだった。
慣れぬ英語も学び続け、気が付けば社内でも実績のある有能な存在になっていた。
20代の終わりに縁あって結婚した。相手は得意先のOLだった。
戦時中は考えられなかった幸せな時間を過ごせた。
ただ・・・子供が学校へ行く頃、彼を悩ませる出来事があった。
学校の教師達が、自分を戦争犯罪者、殺人者などと陰口を言うのであった。
ある若い女性の担任教師は面と向かって「貴方は、人殺しなんですね。親として恥ずかしいと思いませんか?」などと言われた。
でも彼は一切反論しなかった。同士の死を罵るようにも聞こえたが・・・彼がこう思った。
彼女が今生きているのも、同士が若い命を散らせてまで戦ったからだ。」
「当時の酔狂のような時代を知らぬのだから仕方ないだろう」
彼は戦争体験のインタビューは一切断らずに真面目に当時の事実を答えて来た。
ただ残念なことは、一社とて彼の言葉をそのまま伝える報道は無かった。
「報道は、いつでも日和見、風見鶏か・・・」彼の正直な思いだった。
夕日に照らされながら、ヒグラシの鳴き声を聞く。
彼の孫娘が迎えに来た。
「おじぃちゃん! もう遅くなるから帰るよーー」
彼に、もうその声は届かなかった。
8月15日、彼は静かに青空の下、夏の風に乗り逝った。

このウラログへのコメント

  • mina.n 2015年08月14日 18:38

    たまらないです。
    切ない…(泣)

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