- 名前
- azu
- 性別
- ♂
- 年齢
- 54歳
- 住所
- 東京
- 自己紹介
- 言葉で責める、もったいぶる、基本的にスケベ。。。
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死について
2005年12月03日 01:48
先日、彼女が死んだという内容の仮想日記を書きました。
ものすごい反響でした。
『最低』、『縁起でもない』、『自分の後姿が見えない人』。。。
ボロクソです。。。
なんでこんなことを書いたのかを伝えたいと思います。
僕は2人の友人を亡くしています。。。
10代後半から20代前半という最も多感な時に、
もっとも仲良くつるんでいた親友を亡くしました。
突然の死でした。
生まれた時から脳に爆弾を抱えていたらしく、
19歳の時に他界しました。スキーをしに行ったきり
二度と会うことができなくなりました。
あまりのショックに通夜も葬式も殆ど記憶がなく、
後から聞いた話では夢遊病者のように傍らに佇んでいたそうです。
葬式が終わり、車に戻り、ドアを閉め、
エンジンを回し、ハンドルを握りしめた瞬間、
彼との思い出がフラッシュバックのように蘇り、
それまで抑えていた気持ちが溢れ出し、
そのまま暫く動くことも出来ず泣き崩れてしまいました。
そして、24の時にまた大切なもう一人の親友を亡くしました。
中学からの親友で車が好きな奴でした。
ケンメリのスカイラインが自慢の男でした。
奥手な男で、彼女もおらず、童貞をようやく卒業
したと喜んでいた矢先の出来事でした。
我慢強い男でしたが、その我慢強さが災いし、
体の不調に気づくことが遅れ、腸が塞がり亡くなりました。
今でも彼らと過ごした時を思い出します。。。
これらの体験が、僕に人の死というものが
どういうものなのかを教えてくれました。
仮想日記に書いたのは、その時の気持ちを知っているから
リアルに書けたのかもしれません。。。
そして、それが逆に反感を与えてしまったのかもしれません。
人はいつか必ず死にます。もちろん僕も死にます。
永遠に生きる人はいません。
だから死というものについて考えることがあります。
自分が死ぬ時に家族はどう思うのか、生きている人生を
どうやって過ごすか、この時間を誰とどのように
過ごすのか、といったことです。
もちろん彼女や両親、兄弟姉妹の死についても想像する
ことがあります。
その時の気持ちを考えると息が詰まるくらい苦しく
なります。
でも、それが人が死ぬということなのです。
そして、人は生を持った時からこの死に向かって
着実に時を刻んでいます。。。
罪も無い子供が殺されたり、遊び半分で人を殺したり、
人の死というものを理解しようとしない、身近な人を
失うことの辛さを感じることができない人達が、
このような血も涙もない犯罪を起こすのです。
人間は他の動物と違い、想像する力を持っています。
実体験ではなく、想像の中で体験する能力を持っています。
この能力が退化してしまうと、人は人の痛みが分からない動物に
なってしまいます。
縁起でもないのは確かかもしれません。最低かもしれません。
でも、貴方は貴方の大切な人達と、いつかどのような形であれ
別れる時がくるのです。
その時に後悔しないために、今、大切な人達を全身全霊で愛してください。
些細なことで相手と揉めたり、憎しみを持った時には、
その大切な人を失った時の気持ちを想像してみてください。
その切ない思いが、貴方が、今、相手に対して
持っている本心なのです。。。
一時の怒りや憎しみや嫉妬や妬みで大切な人への気持ちを
見失いかけた時に想像力を働かせ、本当の本心の気持ちを
確かめてください。
貴方にとって本当に大切な人が誰なのか、その人のために
今こうして生きている時間の中で何ができるのかを
考え、そして行動してください。
僕は彼女を愛しています。世界中の誰よりも愛しています。
僕は彼女を失いたくはありません。でもいつかは失うことになります。
その時に後悔しないように、常に、彼女の大切さを確認し、
現実社会において彼女を愛することに全力を尽くそうと思っています。
本当に当たり前のことなのですが、その当たり前のことすら
叶わなかった親友達の分まで。。。
このウラログへのコメント
久しぶりに涙が出ました。価値観とかすごく変わったように思えます。
ちょっと考えさせられますね。
あなたの彼女が早死にしませんように・・・
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