- 名前
- えりな
- 性別
- ♀
- 年齢
- 35歳
- 住所
- 埼玉
- 自己紹介
- 恥ずかしがりやで人見知りなので 中々彼が出来ないの おはなしして仲良くなれたら嬉しいなぁ
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素敵な女性
2007年09月19日 20:33
長嶋茂雄婦人亜希子さんって本当に素敵な方だったんですね
私も将来こんな女性になれたらなと思いました
心からご冥福(めいふく)をお祈りします
(以下yahooニュース)
亜希子さんの、こんな言葉が脳裏に焼き付いている。「うちの人の瞳、すごく澄んでいるのよ。吸い込まれそうになることがあるの…」。話すときにポーッとほおを赤らめた。ヘイゼルグリーンの瞳。ピュアな長嶋茂雄さんのとりこだった。いつまでも変わらぬ気持ち、そして尽くした。
“内助の功”という言葉があるが、亜希子さんの一生はまさにミスターにささげていた。
「知らない間に結婚してたの」。知り合って3カ月後には華燭の典を挙げていた。「夫の職場に顔を出すな」という長嶋さんに従った。お嬢様育ち、米国留学でアメリカ・ナイズされた環境なのに徹底的に日本的古風さを持って支えた。
2度目の監督時代(平成5~13年)、コーチ、選手の夫人たちを集めて「夫を支える心構え」として巨人婦人部隊を結成。食事の在り方、夫の操縦法など“銃後の守り”を固めていた。篠塚利典さん(現巨人一軍コーチ)の夫人、加津子さんは「極端な話、奥さん方は24時間、どうすべきか、を話されてましたね。奥さん同士のコミュニケーションも取れてまとまってた。もちろんリーダーは亜希子さん…」と話してくれた。
鬼面の形相があった。昭和55年のオフ、長嶋さんは巨人軍を解任された。雲隠れしていたが、箱根の別荘を突き止めた。ドアをノックすると…。夫人がいた。「何でこんなところまで…。アメリカだったら散弾銃で撃たれてるわよ」。迫力に追い返された。憔悴(しょうすい)の夫を守る妻がいたが、後年になって「あの時、ゴメンナサイね。でも、状況からするとしようがないでしょ」。夫をいかにして支えるか、女性の強さを知らされた。
長嶋さんも応えていた気がする。「女房には苦労かけっぱなしでね」。浪人中、メジャー視察したとき、亜希子さんを同行させたことがある。16歳から4年間留学した米国の思い出を甦らそうとミュージカルや美術館巡りなど堪能させていた。他にも夫人が歓喜した出会いがある。57年9月7日、イタリアでのローマ法王、ヨハネ・パウロII世との謁見(えっけん)である。カトリック信者である夫人は地道な奉仕活動もしていた。「あのことは一生の宝」。夫に感謝した。
元気な、そして明るい笑顔でいつも対応してくれたが、実は若いころから膠原(こうげん)病に悩まされていた。近年も体調を崩し、入退院を繰り返していた、と聞く。体調と相談しながら、人生を楽しんだ。最近は“韓流”に熱中していたらしい。今年の6月24日、埼玉スーパーアリーナだった。亜希子さんに偶然お会いした。韓流スターのリュウ・シオンのコンサート後の楽屋だった。
「フフフ…。最近、韓流にハマっているの。いままで苦労したから、いまは自由にさせてもらってる。ヨンさま、シオン、とにかくみんな好きよ。“普通のおばさん”してるのよ」。失礼ながらその笑顔、“青春”していたように思えた。
それにしても突然の訃報(ふほう)だった。64歳、長嶋さんを支えて42年8カ月。心からご冥福(めいふく)をお祈りします。(編集委員 清水満)
このデジログへのコメント
ふとしたことでこのログに立ち寄ってみて、改めて亜希子さんの偉大さに感じ入った次第。人生の大先輩ですね
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