- 名前
- 三角
- 性別
- ♀
- 年齢
- 58歳
- 住所
- 福島
- 自己紹介
- おばさんですが… 何か?
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五年たって思うこと
2016年03月12日 23:41
みなさん東日本大震災
原発の爆発
震災当時は今日の夕方原発が爆発したように覚えています
本当に爆発があったのかどうかも解らず
テレビに釘付けになっていた記憶があります
いろいろ考えてしまいます
家が壊れたり
道が段差ができたり
学校が避難所になったり
お兄ちゃんの高校は助からなかった人たちの
一時休憩所のようになっていたり
本当に思いもよらないことが次々起きました
昼も夜も家の上をヘリコプターが飛び交い
近くの空き地に救助してきた人々を
転送するため
病院に運ぶため
緊急車両が24時間フル稼働していました
何度目か、、、、自衛隊のヘリが飛び立っていくときに
なぜだか涙が止まりませんでした
見えなくなるまで ずっと手を振っていました
五年たったから言えること
あの時震災が起きて間もなく
元旦那が子供たちを連れて
津波のあった海岸沿いを走ってくれました
さっきまで使っていただろう色々なものたちが
誰かの大事なものが
瓦礫と名前が変わってそこにありました
そこにあった風景は見たこともない
何とも無残な家の破片
あの時きっと心が痛くて耐えられなかった
津波が到達した四倉から小名浜まで
時間を見つけては子供たちを連れ出して元旦那は
見せて歩きました
見ないとわからない
見てしまった
わかったけど
私には耐えられなかったらしい
今になったらわかるけど
その当時はテレビの中ですごいことが起きてる
そんな感じだったような気がする
本当はストレスに耐えられなくて
周りの変化についていけなかった私は
うつ病になって
ストレスに耐えられない
周りの変化についていけない
そんな私自信を最近やっと受け入れていけるようになった
だからといって
治った訳ではない
心が痛いのは誰も解らない
それに対する
保証も援助もない
または受け手はわからない
そんな人がきっとたくさんいる
私は病院にかかったから
苦しくて悲しくて
そのあと離婚して
毎日毎日泣いて、、、、
泣いて、、、
離婚したからだけじゃなかった
いろんなことが重なったから
うつ病として
体がおかしいといっただけで
時々自分がわからない時がある、、、、
めんどくさい奴だわ
このデジログへのコメント
こんにちは、初コメさせていただきます。
震災の時は、目の前で黒い水が色んな物を流して飲み込んで行くのを見て絶望しました。でも、毎日、全国各地から皆様が来るのを見て、私も涙が止まらなかったです。
どんな形でも強くならないと。
難しいんでしょうね、三角さんには。
それでも過去よりも少しだけでも強くなりましょ。
生き続けるだけでも良いですが。
生き続ける強さでも。
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