- 名前
- あいの
- 性別
- ♀
- 年齢
- 47歳
- 住所
- 千葉
- 自己紹介
- まずはメールから…気が合えば会いましょう。出来れば近場で。 ラインやカカオはやってま...
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今日で五年目
2016年03月11日 17:49
震災から5年。2時46分黙祷、震災時は仕事で避難したものの状況分からず。情報が知りたくて一番にいつもは見ない携帯テレビで開いたら津波の映像が流れてる。衝撃的でなにこれ?と声に出したら私の持ってるテレビにわらわら人が群がり状況が危険だと分かり上司や幹部が情報集めに走りだし、テレビをみた周りは家族の安否確認に電話をかける。しかし繋がらず不安と心配が連鎖する。余震が続き、警備員は交通状況確認に、人事は物資や逃げ道確認に看護系は怪我人や障害者の手当てや安否、車イスの人もいたので階段でみんな集まり運んだりとにかく混乱でした。バスは使えず帰れる人だけ先に帰らせる。私は道一本だし遠いけど帰れるなと判断したのと物資や毛布は帰宅困難者に渡らせる様にしたいと思い五時間かけて歩いて帰宅、電車はシャッターしまり、バスやタクシーは人だらけ、車は動かず遠くに火災発生、緊急車両なかなか通らない、コンビニ、スーパーに物はなく、五時間歩いてる間に家族や親戚に誰か亡くなってないか、けがしてないか電話をしたが繋がらないのでメールでひたすら打ち、父を亡くしたばかりで今度は母もかと考えながら無事でいてくれと祈りながら歩き続け、弟に赤ちゃん産まれたばかりだったから、赤ちゃん大丈夫かとか嫁さん赤ちゃん庇って怪我してないかとか、母は携帯持ってなかったので電車に乗ってる可能性が高いと考え、電車の状況見ようとしたがだめで、降りた場所や避難先が分かればと。おねえちゃんガラスが割れて怪我してないかとか、おばあちゃん家の下敷きになってないかとか叔父さんや叔母さん達は逃げれたのかとか不安と緊張と心配だけが続く道のり。一番に携帯テレビ見たのは父が阪神大震災を経験していて父は自分も怪我してたけど部下や取引先の客を逃がすのが優先と思い、指示を出してたこと、家族の安否確認をするように言ったこと、連絡手段繋がらず、道路状況や物資など情報がなく、困ったと話していたから。後に部下の家族や親御さんが亡くなっていたと聞いたり、家が無い人や帰れない人たちを今、ある少ないもので分けあったりしたと。情報が分かれば自分達が何をするべきか分かるからだなと思い、震災時は情報が必要だ、テレビを見ないとと強く思い、すぐに携帯テレビ確認。家に帰れば何かしらあると思ったし、物資などの数が足りないのも困るだろうなと。震源地に近い隣の県場所でもあるからとにかく何とかしないとと。福島では亡くなった会社の人も居たし親御さんが津波に飲み込まれ行方不明と連絡あったり安否確認に2日や3日かかったり、とにかく大混乱を極めてました。1月17日阪神大震災も3月11日東日本大震災も私にとっては忘れられない出来事でやっぱりテレビ見ると泣いちゃうし津波映像が今でも覚えてる程衝撃的で生きてると色々あるなーと毎年思う訳です。
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