- 名前
- ゆみりん24
- 性別
- ♀
- 年齢
- 50歳
- 住所
- 神奈川
- 自己紹介
- 最近恋愛していませんね、ってそういう年齢も過ぎましたか(笑) 本当はかまってちゃんだ...
JavaScriptを有効にすると、デジカフェをより快適にご利用できます。
ブラウザの設定でJavaScriptを有効にしてからご利用ください。
世界遺産登録を歴史修正の元とさせないために
2015年10月13日 14:31
中国は次の一手も準備・・・・ 【世界記憶遺産】
旧日本軍が上海で保護したユダヤ難民を
中国がナチスから救ったと歪曲して申請へ
リトアニア領事館の杉原千畝さんによる功績
「 命のビザ 」にも関係
中国はさらに、戦前に上海に逃れてきた3万人近いユダヤ難民資料を世界記憶遺産としてユネスコに申請する準備を進めている。
ユダヤ難民は旧日本軍が上海の日本人居留区で保護した経緯があるが、中国はこうした事実をほぼ封印し、中国がユダヤ難民の保護に貢献したかのようにアピールする考えとみられる。
戦前に欧州を追われ、上海に逃れてきた3万人近いユダヤ難民の資料を「世界記憶遺産」として国連教育科学文化機関(ユネスコ)に登録する申請作業が中国で進んでいることが8日、関係者の話で分かった。ユダヤ難民は旧日本軍が当時、上海北部の日本人居留区に「無国籍難民隔離区」を置いて保護した経緯があるが、中国側はこうした事情をほぼ封印し、「抗日戦争勝利70周年」の一環として、中国がユダヤ人保護に貢献したかのように国際社会にアピールする考えだ。
・・・
戦前の上海では、アヘン戦争(1840~42年)を経て英国などが設置した租界や、1937年の日中戦争の後にできた日本人居留区への上陸には必ずしも正式な書類は必要なかった。
元駐リトアニア領事代理の杉原千畝(ちうね)氏が人道的な見地から発給し続けた「命のビザ」を手に、日本を経由して、当時は世界でも限られた難民受け入れ地だった上海に向かったユダヤ難民も少なくなかった。
1942年、ナチス・ドイツが日本に「最終解決」と称してユダヤ難民の殺戮(さつりく)を迫ったが、旧日本軍はこれを拒否。1943年に「無国籍難民隔離区」を置き、許可なく域外に出られない制限を加えてナチス・ドイツに説明する一方、ユダヤ人の生命を守った歴史がある。
こうして歴史が塗り替えられ
真実が封じ込められるのは許しがたいこと
ましてや、命懸けで全てをなくす覚悟で戦った戦士を
名も無き人に変えさせてはいけない
と思うけど、何ができるのでしょう。
このデジログへのコメント
当時、中国という国があったんですね。
知りませんでした。
> 貴女の♫*カズ兄ぃ♪゜*硬派wさん
属国含めて、そうなってくれることを
一日も早くそうなることを望みます。
もう、ウザすぎ。
> 本剛さん
あちらの歴史も
嘘で塗りたくられ始めました。
ただ、少し中国国民もほうが属国よりおりこうさんみたいですけど。
> 5工場さん
世界から見たら、こんなアジアの片隅の国の歴史なんて
関係ないのかもしれないけど
だからこそ、そこに加担も意見もして欲しくないです。
正しい歴史こそ、後世に残さないと。
コメントを書く