- 名前
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- えっと・・・ 好きなものはお笑い系ですかね。 誰が好き、とかではなくていい歌、 おも...
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【★今日の事件簿6/秋葉原通り魔事件・2008年】
2015年06月08日 14:11
【★今日の事件簿6/秋葉原通り魔事件・2008年】
●2008年(平成20年)6月8日(日)に東京都千代田区外神田(秋葉原)で発生した
通り魔事件である。7人が死亡、10人が負傷(重軽傷)した。
お昼12時半過ぎ、外神田四丁目の交差点で当時25歳の元自動車工場派遣社員の
加藤智大(かとうともひろ)の運転する2トントラックが中央通りとの交差点に設置されていた
赤信号を無視して突入、青信号を横断中の歩行者5人をはねとばした。
このトラックは交差点を過ぎて対向車線で信号待ちをしていたタクシーと接触して停車。
周囲にいた人々は最初は交通事故だと思っていたが、トラックを運転していた加藤は
車を降りた後、道路に倒れこむ被害者の救護にかけつけた通行人・警察官ら17人を、
所持していた両刃のサバイバルナイフ(ダガーナイフ)で立て続けに殺傷した。
さらに、加藤は奇声を上げながら周囲の通行人を次々に刺して逃走。事件発生後まもなくして
近くの秋葉原交番から駆けつけた警察官が加藤を追跡し警棒で応戦、最後には拳銃の銃口を
加藤に対して向け、ダガーを捨てるよう警告し、応じなければ拳銃を発砲することを通告した。
それに応じナイフを捨てた加藤を非番でたまたま居合わせた蔵前警察署の警察官とともに
取り押さえ現行犯逮捕にて身柄を拘束した。およそ5~10分間ほどの間の出来事だった。
●事件当日は日曜日で中央通りは歩行者天国となっている区域だった。この日も多くの
買い物客や観光客でごった返しているなかの凶行であり、事件直後に多くの人々が逃げ惑い、
また、負傷者が横たわる周囲が血の海になるなど事件現場はさながら戦場の様相を呈しており、
まさに白昼の惨劇であった。加藤はナイフは他にも5本所持していたことが明らかになった。
17名がトラックではねられたり刺されたりするなどの被害を受け、そのうちの7名
(19歳から74歳までの男性6名、21歳の女性1名)が死亡した。
通り魔事件としては過去30年で最悪の事件とみられている。
●犯人の加藤は、心のよりどころとしていた携帯サイトのネット掲示板で、千回を超える
書き込みをおこなっていた。そこでは独自キャラを確立していたが、成りすましによる
偽物が現れたために次第に孤立感を深めていった。加藤は「掲示板の成りすましによる偽物に
間接的に攻撃するために大事件を起こす」ことを決意し、「近年大きく報道されていた大事件と
して記憶していたのが無差別殺傷事件」として、次第に殺人を予告する書き込みを行うように
なっていった。加藤は「大事件は大都市、大都市は東京、東京でよく知っているのは秋葉原」
として襲撃場所は秋葉原に決まり、「日曜日なのは秋葉原の歩行者天国が思い浮かんだから」
として日曜日に秋葉原の歩行者天国に襲撃することが決まっていく。
6月8日午前5時21分、「秋葉原で人を殺します」とのタイトルで、
「車でつっこんで、車が使えなくなったらナイフを使います みんなさようなら」との
犯行予告を行った。その後、沼津市から犯行現場まで移動する間に約30回のメッセージを
書き込んでいた。12時10分に犯行現場で最後の投稿をし、その20分後に事件が発生した。
●事件当時秋葉原で実施されていた歩行者天国の当面の中止が決定した。
その後、歩行者天国の再開時期が報じられては延期という状態がしばらく続いていた。
最終的には、毎週日曜日のみ実施時間を13時から17時(4月以降は18時)までとし、
2011年1月23日より歩行者天国が再開されている。
●事件後複数のネット掲示板において殺人などの犯罪予告が相次ぎ、7月7日までに
33人を検挙した。事件前は月に2,3件だったが、事件後1ヶ月で100件以上になっている。
このほとんどが10代と20代で、供述内容などからそのほとんどが悪戯とされているが、
実行の意思とは関係なく脅迫罪や威力業務妨害に該当するれっきとした犯罪である。
日曜日の昼食時間帯に一般市民を巻き込んで発生した重大事件であったため大きく報道された。
事件の最初の速報では死者2人だったのが度々速報が入るにつれて死者の数が増えていき、
最終的に死者7人になる殺人事件となった。主要新聞社は号外を発行し、NHKは放送中の番組の
のど自慢を急遽差し替え、事件現場から生中継を交えて臨時ニュース放送をした。
ただフジテレビに関しては、G1競走である安田記念と重なったことから、15時から
「みんなのケイバ」放送のため、途中での中断があった。
●事件現場が秋葉原とあって、花や飲食物の他にフィギュアやおでん缶等、秋葉原と関係の
深い物も供えられた。しかし7月に入り、事件そのものの報道が次第に減少した中、
献花台に供えられたタバコや飲食物が持ち去られるようになった。持ち去りは人通りの
少なくなった夕方から夜間にかけて行われ、なかには自転車の前籠や紙袋に大量の
清涼飲料水やビールを詰め込んで立ち去る者もいた。
献花台に供えられた物品は法的にみて献納者個人の所有物であり、千代田区には注意義務があり、
それらを持ち去ることはれっきとした窃盗にあたる。
●2011年1月25日、東京地方裁判所での論告求刑で、検察は加藤に対して
「犯罪史上まれに見る凶悪事件で人間性のかけらもない悪魔の所業。多数の模倣犯を生み
悪影響は計り知れない。命をもって罪を償わせることが正義だ」と述べ死刑を求刑。
同年3月24日に加藤に対して求刑通り死刑が言い渡された。判決では完全責任能力、
比較的軽傷だった被害者への殺意、警察官に対する公務執行妨害等検察の主張通りに認定した。
しかし加藤は減刑を主張。東京高等裁判所は「犯行当時、完全責任能力を有していた。」
として加藤の控訴を棄却した。だが、精神障害の疑いがあるとして最高裁判所へ上告した。
弁護側は「被告は事件当時心神喪失もしくは心神耗弱だった疑いがある。死刑判決は
破棄されるべきだ」と主張したが最高裁判所は「動機に酌量の余地は見いだせず、死刑を
認めざるをえない。」として被告側の上告を棄却した。これにより死刑判決が確定した。
★2014年、被告の弟が自分自身の置かれた境遇に耐えかね、250枚の手記を残して自殺した。
★2015年現在、加藤は東京拘置所に収監されている。
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