- 名前
- Mory
- 性別
- ♂
- 年齢
- 65歳
- 住所
- 群馬
- 自己紹介
- 長年、都内で出版の仕事に従事して参りましたが、80歳を過ぎた母親との同居を決め201...
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真面目な話
2015年03月04日 01:57
上村遼太さんが殺害された事件に関して、少し思うところを書いてみます。
事件の詳細が報道されるにつれて、彼(上村さん)の無念を思うと忍びなく胸が詰まる思いです。
事件現場となった多摩川の河川敷は、その写真がTVニュースで映された時、その瞬間に「ああ、あそこだ」と僕は判断出来ました。
高津区に住んでいた当時、多摩川沿いの土手道を何度も自転車で走っていましたので。
川崎は、僕が20年以上住んだ大好きな街です。
ですが東京23区からしてみれば「川向こう」、南接する横浜からみれば「ダサダサ」な街。
多くの人たちに印象の良くない街ですよね。
その昔の公害問題でも、川崎に対してマイナスイメージを持つ人が多いかと思います。
でも僕は20年以上川崎に住んで、川崎が好きでした。
川崎に住みたいと思って、川崎に引越し、住み続けていました。
しかし、今回の事件でまた、川崎の街に対してイメージを悪くされた方も多々いらっしゃるかと思います。「危ない街」とか「不良の街」と思われてしまうでしょうね。
話は、少し変わります。
僕の父親は平成元年に他界しておりますが、生前は法務省矯正局で長年勤務し、そのキャリアの殆どが少年院の教務官でした。
僕は生まれてから工業高専の寮に入るまでの15年間、いわゆる官舎住まいで、少年院の敷地内にある官舎で過ごして来ました。
今の少年院がどのように管理されているかどうかは知りませんが、僕が育った頃の少年院では、入所者(刑を受けている少年たち)と官舎住まいの子供たちが接近遭遇する場面は多々あり、「チビはモリゲンさんとこの次男坊かぁ」、「いま掘った芋、うまいぞ。持ってけ」、「自転車乗れるようになったんかい」と、声を掛けて貰うもらい可愛がって貰いました。
そういった入所者のお兄さんたちを、僕たち教務官の子供たちは「生徒さん」と呼んで、見た目は怖いけど優しく接してくれるお兄さんたちだと思っていました。
その実は、少年院に入らなくてはならない罪を犯して来ていた人たちなんですけど、ね。
あと、僕の親父は法務省矯正局の勤務でも、刑務官ではなく教務官だったんですね。
ここには大きな違いがあるかと、勝手に思っています。
今回の事件後、犯人と思われる18歳少年の画像や実名、親兄弟の写真がSNSに公開され、自宅住所やグーグルMAPの画像などが公開され、「この一家は許さない」、「極刑!」、「家に火をつけろ」、「少年法糞食らえ!」といった書き込みを多数見ました。
ネット上での書き込みに、そんなに敏感に反応するのは、かえってよく無いのかも知れませんが、今回はちょっと異常なまでに「少年法反対」的な意見が見受けられたので、書かせていただこうと思いました。
僕自身、正直に言うと現行の「少年法」がイイかは悪いかはわかりません。
ただし、これまでの社会バランスをとる上で少年法が果たしてきた役割はあったんじゃないかと思っている自分の意見もあります
1988年に、東京都足立区で「女子高生コンクリート殺人」という痛ましい事件が起こりました。
当事の社会でも大きく問題になり、この時にも少年犯罪の決着をつけるべきか話し合われたかと思います。
その結果、現在「少年法」が生き残っているのではないでしょうか。
僕自身は、現在の「少年法」を維持し残して欲しいとは思っていません。
ただ、「少年法」の精神は残して次の法案に生かして欲しいと思います。
「少年法」においては罪を罰することよりも、今後の成長過程を期待し、望みのある判断を下して頂きたいと思います。
教務官を続けてきた親父も、罰を与えることよりも罪を意識させるさせることに心砕いていたんじゃないかと、思いまして。
親父は僕たち息子には厳しい人でしたが、恐らく子供が大好きな人だったんじゃないかなと、50を過ぎて思いを深くするばかりで。
子供の未来を信じていた人だったんじゃないかと、ね。
このデジログへのコメント
難しいですよね。少年法は存続してほしいですが、本当の後悔に導くケアや教育が充実してほしいです。
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