- 名前
- 圭太
- 性別
- ♂
- 年齢
- 54歳
- 住所
- 愛知
- 自己紹介
- 困っている友人は、ほっとけないし大好きな人は、ついからかいたくなります。はじめまして...
JavaScriptを有効にすると、デジカフェをより快適にご利用できます。
ブラウザの設定でJavaScriptを有効にしてからご利用ください。
永遠の謎
2014年12月31日 07:28
総発行部数5000万部を超える大ベストセラー
「バガボンド」
その主人公、宮本武蔵は、生涯60数度の真剣勝負に
一度もひけをとらなかった。
その数多くの真剣勝負の中には、
必ずしも1対1ではなく、沢山の敵に取り囲まれたこともある。
そんな時、イメージ的には、
次々おそいかかってくる子分を倒してからボスを倒す。
たとえば「暴れん坊将軍」を思い出してほしい。
クライマックス、悪者の屋敷で暴れん坊将軍が
「たわけ者。余の顔を忘れたか!」
と一喝すると、
悪代官の脳裏に江戸城で将軍に謁見した記憶がよみがえり、
「…う、上様!」
と一瞬たじろぐ。
ところがすぐに開き直り、
「ええい、上様がこのような所に来られるはずがない」
「恐れ多くも上様の名をかたる不届き者じゃ、出会え~!」
こうして次々と子分がやってきて、大混戦となる。
ところが実際には、日本刀は刃こぼれして2~3人しか切れない。
現実にあなたがそういう場面でまねしようとすると、
悪代官にたどりつくまでにたぶん戦闘不能になる。
これができるのは他にも
水戸黄門や仮面ライダーなど、いずれも時代劇か、戦隊ヒーロー系で、現実問題としてはまず無理。
ところが武蔵には、そんな時、現実に勝利する
実践的な必勝の定石があった。
次々に襲いかかってくる子分を倒してから
ボスをたおすのが無理ならば、
武蔵は、瞬時に一番強い、ボスは誰かを見極める。
ボス以外がきたら、よける。
そして親分を直撃する。
これが必勝の定石だった。
人生も、次から次へと無理難題が飛びかかってくる。
期末テスト、受験、病気、金欠病、失恋、就職活動と、
時として大混戦模様。
ところが、これらを一つ一つ解決して、
全部解決しきることができるだろうか。
できるとすれば、暴れん坊将軍や
戦隊ヒーローなどのテレビの世界。
一生懸命自分の身の上に受けたトラブルとか、
解決しなければならない問題に取り組んでるうちに、
いつかくたくたになって、ばったりと倒れてしまう。
しかも、そうやって最後に、
絶対死にたくないのに最後死んでかなきゃならない。
幸福を求めて、色々なことで難局を乗り切ってきたのに、
最後に人生最大の問題、「死」がやってくる。
かつて、その心境を書き残した大学教授があります。
──東大名誉教授、岸本英夫。
助教授から教授になって7年、
スタンフォード大学の客員教授として活躍中、
あごの下にできたしこりに気づく。
調べると、増殖性のものだった。ガンだった。
51才の若さである。
結婚以来、1度も病気らしい病気をしなかったと述懐する
三世(みつよ)夫人が
3週間後に日本からかけつけ、大手術が行われる。
手術は成功。
一時、なおった、かに見えた。
ところが4年後に再発。
もはやどんなに摘出しても、
あごの下にガンが頻発し、手術をくり返しながら
10年後、亡くなる。
同じ年、その10年間の闘病記
「死を見つめる心」が、
毎日出版文化賞を受賞する。
そこにはこう書かれている。
死の問題は、どうしても解かねばならない問題として、
人間のひとりひとりに対して、くりかえしくりかえし提起される。
どうしても解かなければならないけれども、どうしても解くことができない。
これは、永遠のなぞとして、永久に、人間の上に残るであろう。
子分を何人たおしても、
最後、ボスでやられてしまうように、
人生における色々な問題をどれだけ解決しても、
臨終に、そんなことはまったく問題でない。
誰もが臨終にならねば気づかないことだが、
いつ死が来ても笑って死ねる人生、
我が人生に悔いなしといえる人生にするには、
まず、最初に死の問題に取り組むことが大事なのだ。
武蔵に最初にボスが倒されてしまうと、
子分たちはどうなるだろうか。
自分よりはるかに強いボスがやられてしまったのだから、
次に自分がかかっていったらあっさりやられてしまう。
子分たちは、後ずさりしながら、
「むさし~、絶対許さないぞ~、覚えてろよ~」
と捨てぜりふを残し、逃げてしまう。
こうして、死の大問題が解決できれば、
その他の問題は、あってなきが如し。
いつ死んでも、悔いない人生、満足できる人生になる。
この死の大問題を解決した世界を
たとえば日本三大古典の一つ、
700年前の「歎異抄」には、
『無碍の一道(むげのいちどう)』
と記されている。
「一道」とは、
「道」とは世界
「一」とはたった一つの。
絶対の世界を「一道」という。
ではどんな世界かというと
「無碍(むげ)」の世界。
「無碍」とは、
「碍」とは、さわりということ。
受験や仕事、失恋や病気などの人生の色々な問題。
それらのさわりが、
「無くなる」のではない。
一切のさわりが、さわりとならなくなる。
つまり、
試験に合格したり、
病気が治ったり、
お金が儲かったりするのではない。
「親分」をたおせば、
「子分」が問題にならなくなるように、
さわりがさわりのまま、さわりとならなくなる、
そんな世界が『無碍の一道』
死の大問題が解決されたなら、どんな人でも必ず
「無碍の一道」に出られる。
この世界を「絶対の幸福」と言っていた。
その世界に出るには、子分はどれだけ倒しても、
キリがない。
人生の諸問題の根元であり、
最強の親分である、死の大問題を、
まっ先に一刀両断することが重要。
この「無碍の一道」絶対の幸福の身になることこそ、
このすべてがほろびる諸行無常の世の中で、
生きているうちに果たさねばならない、
唯一の課題、人生の最優先課題だと仏教で教えられている。
20世紀最大の哲学者ハイデッガーは、
晩年にこの無碍の一道の出ている「歎異抄」を読んで、
日記にこう書き残している。
今日、英訳を通じてはじめて東洋の聖者親鸞の歎異鈔を読んだ………
もし十年前にこんな素晴らしい聖者が東洋にあったことを知ったら、
自分はギリシャ・ラテン語の勉強もしなかった。
日本語を学び聖者の話を聞いて、世界中にひろめることを
生きがいにしたであろう。遅かった。(ハイデッガー 老後の日記)
日本人は、日本語を学ぶ必要はないと思いますので、
ひょっとしたら世界で一番、
無碍の一道に近い民族なのかもしれない。
このデジログへのコメント
コメントを書く