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死について考えてみる

2014年11月05日 01:56

余命いくばくもない人の実行した尊厳死が問題になりました。
ものすごく近い将来、最長でも医師の見立ては半年以内しか残っていない人に対して
世界の幾つかの国とアメリカの1つの州で、合法的尊厳死が認められていて
尊厳死を求める女性がそこへ行って尊厳死を実行しました。
尊厳死自殺とは限りません、医師に処方してもらった薬を本人が錠剤などで飲む場合や、注射や点滴で体に入れる場合も含まれます。
ほとんどの所では、薬を渡した医師は自殺ほう助、注射や点滴で死にいたる薬剤を入れてやれば殺人罪に問われます。

死とはなんでしょう。
たとえば、あなたが末期がんで鎮痛のモルヒネも効かずのたうちまわるような苦しみを受けていたとします。
余命は半年としましょう。
誰かを犯罪者にせずとも、合法の国に行けば尊厳死の薬を手に入れる事も使ってもらう事も出来ます。
末期がんの日々を早々に切り上げて傷んだ重りを脱ぎ去って来世にさっさと進んでいけるかもしれません。

しかし、それで良いのは死にゆく本人だけではないでしょうか。
死にゆくものには5段階の心の流れがあるといいますが
見送るものにも終わりのない心の葛藤があるのです。
死にゆくものが5f段階の心の流れを受け入れ、それを知ることで見送るものは安堵と達成感を得ます。
自分の支える力が安らかな来世の足がかりになったと思えば悲しみも半減しますが
段階を途中で切り上げられると見送る方も中途半端、達成感も安堵もありません。
まさに死に逃げ、大事な人が自殺したのと受ける傷は変わらないでしょう。
痛みから解放されて良かったね、理屈は通りますが不条理です、暗い夜道を目をつむって走って通るぐらいの受け入れなさを目の前でやられて、遺族が家族を失った悲しみだけで終われると思いますか?



あああああ、無理、色々書こうと思ったけどまとまらないから放置

とりあえずどんな形であれ死んじゃ駄目。

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