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思いついたことをダラダラ書く日

2014年08月03日 20:34

最近、スマホでITを漂流していると
「鬱ふざけんじゃねぇ」といブログが散見されるようになりました。

鬱とか認知症などはとにかく
「温かく見守って」
とか
「周囲の理解が大事」
とか
「否定してはいけない」
とか
とにかく病気の人にハートフルな言葉が溢れています。

私はこれらの意見を割りと冷ややかに見ております。

病気当人にはどこまでも理解あることが書かれています。

病気の当人が辛いのはよくわかります。
私も追い込まれた時期ありますので。

言葉自体は間違っていないのです。
うん
間違っていない。

私が『うーん?』と思うのは
周囲に無限の寛容を求めるところです。

正直、非常にハードルが高いです。


【甘えとしか思えない話】
【独りよがりな話】

黙って聞く。

【甘えとしか思えない話】
【独りよがりな話】

否定しない。

これを毎日
長期間繰り返すということになるのです。

みんなできるの?

私はできません。
未だにできている人を見たことがありません。

言うのは簡単で誰でも言えます。
やることは凄く難しいと思います。

周囲の人も大変なので
周囲の人にも配慮も必要だと思うのです。

「【周囲の人もできる範囲で】温かく見守って」

「周囲【もできる範囲で】理解が大事」

「【周囲もできる範囲で】否定してはいけない」


無理は続きませんからね。


次。

自分で経験して実感したことなのですが

問題というのは
問題だと思うから問題なのであって
問題だと思わなければ
問題ではないということです。

責任感が強い人

まじめな人は
ちょっとしたミスでも
凄いミスをしてしまった!と感じるのではないでしょうか。

しかし
感性の鈍い人
度胸のある人は
あ やっちまったなぁ 
程度なのかもしれません。

同じことをしてしまっても
感じ方は人それぞれです。

自分がどのように感じたいのかわかれば
自分の内部を感じたい方へ変えて行けば良いと思うのです。

外部を悪く言っても
自分のために変わってくれることはないと思います。
外部のせいにしても
自分のために直してくれることはめったにないと思います。

そう書きつつ
外部に文句を垂れる自分が居るのですが。 ゲフン ゲフン



次。

繋がっているという感覚と分断されれいる感覚と。

最近
自分と外部は
繋がっているんじゃないかなーと思うようになりました。
そう思う方が
自然というか
理にかなっているんじゃないかなーという感覚を
持つようになったと言った方が近いかもしれません。

私の世代は
人と比較することで
自分の位置を決めるという価値を
教育されてきた世代だと思うのです。

比較するということは
自分と他人は別という発想に基づいています。

人よりお金を持っている
人よりモテる
人より勉強ができる
人より
人より
人より

人より何かが有利だったり
優位であれば
自分は幸せになれるのでしょうか。

幸せになれると教育されてきたので
人より上にいくための努力をしてきたように思います。

受験勉強は正に人より上に行く努力の賜物なのではないでしょうか。


人より上の大学に行って
有名企業に就職できた人は幸せなのでしょうか?

人より上に行くのが幸せと感じられる人は良いと思います。
問題なのは
人より上にいくのが幸せと感じられない人達です。

例えば
人の役に立ちたいとか
社会に貢献したいとか
そういうものが自分の幸せに直結する人にとっては
全く逆の道に進むことになります。

自分の本来あるべき価値観
違う価値観を刷り込まれた人は
非常に
悩むことになると思います。

本来正しいと思っていたことを
根本から覆すことは非常に勇気がいります。

自分のために
チャレンジができる人は凄いなぁとつくづく思います。

私は未だにできませんねぇ。。。

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