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命をかけるということ
2014年06月16日 00:23
先日、
忘れた頃に爆弾が届きました。
「骨髄バンク」です。
適合通知を受け取りました。
一瞬、何が起こったのかと思いました。
数十年前に善意で登録したもの。
すっかり忘れてました。
寄付ばっかり請求されるので。
ところが、
いつも届いていた封筒ではなく、
A4ノビ位のでかい封筒が来ました。
明らかに様子が違う。
開封すると、
「コーディネートのお知らせ(適合通知)」
おぉ、マジか・・・
ところが、
それより思ったことがあったんです。
自分でも意外な気持ち。
「あ、助かる人がいるのか」と。
なんとなく登録したものだったので、
当時は、
「俺が適合するわけないっしょ」
という感覚で登録したわけです。
でも今は、
「僕に適合する人が助かるんだ」と。
ちょっと誇らしくもありました。
しかし、
両親の見解はちょっと違いました。
「なにも今せっかく健康なのに、
体にメスを入れることは無いんじゃないか」という。
言い分は解るんだけど、
それって目の前にある、
助かるであろう命に目を瞑れということ。
僕は、
「助かるかも知れない人が、
僕がなにもしないことでまた絶望するくらいなら、
僕は喜んで提供する」と。
「ここで何もしなかったことを、
一生後悔していくより、
今できることをやって、
もし後遺症があったとしても、
そのほうが納得できる」と。
父親は納得したけれど、
母親はダメでした。
やはり自分の子供が一番なのは、
母親ならではの感情なのかもしれません。
ただ、
自分が救えるものがあるとして、
それを放棄したとするならば、
自分がそれを必要とした時、
やっぱりだれも助けてくれないのではないかと。
こういうことは、
まさに十人十色の意見があると思うけど、
臓器提供なんかより、
よっぽど人道的だし可能性のあるもの。
できることで救える命があるのなら、
救ってあげたい。
自分は自殺とかしてしまったけれど、
今は生きていてよかったと思ってる。
提供される人も、
一日千秋の思いで待っていたんだと思う。
それが実るように、
僕ができることは、
やっぱりしていきたい。
偽善でも、
いいと思ってます。
助けを求めてる人には、
やっぱり手を差し伸べたいのです。
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