- 名前
- せえ
- 性別
- ♂
- 年齢
- 59歳
- 住所
- 広島
- 自己紹介
- ワタシ ハ ココロノ ヤサシイ セエ ト モウアゲシマス オイシイ オチャ ヲ ワカ...
JavaScriptを有効にすると、デジカフェをより快適にご利用できます。
ブラウザの設定でJavaScriptを有効にしてからご利用ください。
心あらたに おめでとう。
2013年12月31日 13:36
あけましておめでとうと、たくさん、晴れやかに言うことだろう。
初めて会う人にも言うだろう。
年があけることの何がおめでたいのか、子供のときはまったくわからなかった。
年がかわっただけで、何もかわらないではないか。元日の朝、大人たちが笑顔で言祝(ことほ)ぎ合うのは、わざとらしいような気がしてたまらず、自分で言わざるをえないときには照れくさく、小声でそっと言ったものである。
そんなナイーブな時期を過ぎても、おめでたさがわからないのは同じ。子供のころからの習いで、なんとなく正月の飾りこそするものの、あとは普段と変わらずに年越しすることをよしとした。それが数え42歳、男の厄年あたりから、年があけることが心底おめでたいと思うようになってきた。
やることなすことうまくいかず、うまくいかないどころか裏目にでて、人間関係も軒並み崩れていくような年だった。その年が終わるとき、ああ、やっとこの災厄(さいやく)から解放されるのだと思った。新しい年が来たときに、どれほど嬉しかったことか。
年があけて、何がかわるものでもないはずなのに、気分がかわる。人間関係も仕事もすべて旧年からの連続の上にあるはずなのに、どういうわけかリセットして、あらたに始められるような気がする。
この感覚はどこから来るのだろう。大掃除をして門松を立て、お鏡を飾り、新年を大切に迎える、日本に生まれてほんとうによかった。そうでなかったら、私は今ごろ人間関係のしがらみと積年の後悔で、なにもかも投げ出していたに違いない。
またやってきた新しい年、昨年の失敗は忘れて、心あらたにこの一年を始めよう。はりきって行こう、と思う。
そのうちくたびれてくるものの、私はいつも正月は、ことのほか元気である。
このデジログへのコメント
コメントを書く