- 名前
- くまごろう
- 性別
- ♂
- 年齢
- 56歳
- 住所
- 鳥取
- 自己紹介
- 最近は正しい近代史を中心にログを綴っております。 日本人であることを誇らしく思う今日...
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【画像】韓流時代劇(笑)の妄想と現実
2013年11月19日 00:21
クッソワロタwww
綿の鎧とかダッセェwww
妄想の中では仮面ライダーなのになwww
■歴史上唯一 日本と朝鮮が戦った「応永の外寇(1419年)」…対馬の領土化を狙った、李氏朝鮮の対馬侵略■
歴史上、日本の朝鮮半島での戦争は、古代から秀吉公の朝鮮征伐まで、支那との戦いであった。しかし、歴史上唯一日本と朝鮮が戦った戦争が「応永の外寇(1419年)」である
永楽17年(1419年)6月、李氏朝鮮の太宗は倭寇撃退を名目(実際には対馬の朝鮮領土化が目的)にした対馬侵攻を決め、対馬の守護や主力兵が不在である時期を狙って、李従茂率いる227隻、17,285名の精鋭の軍勢を対馬に侵攻させた。
日本側の武士は留守を預かる600人程度であり、通常の軍事的常識から見れば朝鮮軍の圧勝のはずであった。
【戦争の結果】
動員兵力:(日本) 600人 (朝鮮) 17,285人
戦死者 :(日本) 20人 (朝鮮) 2,500人以上
★このような兵力の差でも、
結果は日本軍の圧勝でした(笑)
600人で1万7285人を10日ほどで完敗させ、
朝鮮側は最終的に対馬が日本であることを再確認させられ、
その上、毎年大量の米を対馬に献上することを約束させられた
(この献上は明治になるまで続けられた)。
この戦いの時に対馬に滞在していた中国人商人が朝鮮軍に捕まりました。この中国人の扱いについて「対馬での朝鮮軍の弱小ぶりを詳細に見たことから中国に返還できない」「事大の礼を尽くして送り返すべき」と朝鮮国内で議論となったとの記録があるくらい、朝鮮軍が尋常ではない負け方をしました(爆笑)
まあこの流れは戦後も脈々と続いているわけだから、DNAって恐ろしいねwww
【朝鮮戦争での李承晩と金日成…臆病者の典型的な朝鮮人】
朝鮮戦争で、李承晩は、北朝鮮の侵攻直後から逃げてばかりで、北朝鮮軍がまだ、ソウル近郊にも達してないのに釜山近くまで逃げて行方不明状態になり、途中の太田付近で米軍の少尉に説教を食らうと、韓国軍の指揮権を米軍に委譲すると言って、さらに列車で逃走w
安全で敵も遠かった釜山近郊でも、すぐそばで、米軍の大砲の試射音がしただけで、李承晩は顔色を変えて日本に行くと言い張り出して、アメリカの大佐から、あんたの部下は戦ってるよと長々と小言を言われたw
日本にいたマッカーサーも呆れ果てて、何があっても日本には上陸させないと打電。
それに対して、李承晩は北九州がダメなら、島根、鳥取でも良いとアホな返電www
金日成も、米軍の仁川上陸に慌てまくり、まだ、平壌から米軍は遠いのに、中国国境まで不眠不休で逃げて逃げて逃げまくり、国境線で鉢合わせした中国軍司令官の膨徳懐に、列車から引きずり降ろされてビンタ3発食らった。
さらに、膨徳懐に、「もう、戦ってるのは中国兵だけだから、我々の戦争だ。お前は命令書に名前だけ書いてろっ」と一喝されて指揮権を剥奪され、それに「ええ、同志に任せます」とへつらって従った。
開戦直後から、南北ともに軍最高司令官が逃げ出し、指揮権を奪われた屈辱民族www
両方とも、実際に見た人達の証言が中国・ソ連、米国それぞれに残っているので、疑いようのない「史実」w
このデジログへのコメント
パッド入りって、スポーツブラちゃうねんから。
> 凜さん
これ、どう見ても「防空ずきん」にしか見えねぇ・・・。
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