- 名前
- 月蝕
- 性別
- ♂
- 年齢
- 33歳
- 住所
- 新潟
- 自己紹介
- ここ4年くらいで色々な変化がありました。最近、半導体メーカーにて勤務開始。忙しい。 ...
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*今日の内容はひたすら愚痴なので嫌な方はすぐに「戻る」ボタンを押してください。
2012年07月07日 22:03
こんばんは。月蝕です。
*今日の内容はひたすら愚痴なので嫌な方はすぐに戻るボタンを押してください。
皆さんはニュース見てます?
大学生になると案外意識しないと見ようと思わない、社会に無関心になりがちです。
ので、私はネットニュースを見るようにしてます。
で、最近のニュースで一番腹たったこと。
「大津市市立中学2年男児自殺」
これの背景掘り返してみると、陰湿ないじめが原因だったことが発覚。
学校側は必至に否定してますが、生徒のほうがマスコミに情報提供してますね。
くわしいことはgoogle検索すればいくらでも出てきます。
正直、ここにそんなこと書きたくないです。
いや、もう何これ。
本来、生徒守る側の教員が加害者側を擁護するとか何事!?
その学校の教員全員クビにしてもいいくらいだと思いますよ。
未来を担う子供に対して、学校側がそんな態度取ってるようじゃ、どうしようもないな。
いじめに対しては色々思うところがあるのですが、私自身の中では次のように位置付けられています。
「加害者及び共犯者は皆殺しにされても文句は言えない」
いかなる事情があれど、いじめという状態になってしまったら加害者が圧倒的に悪い。
それゆえに、その報いが死であったとしても文句は言えない、と考えています。
被害者は加害者に報復する正当な権利があります。
というのも、「いじめ」っていうのは「喧嘩」じゃないのです。
「喧嘩」はせいぜいが1対1~3でやるものです。
「喧嘩」のうちは一人でもなんとか解決に持ち込めるものです。
しかし、「いじめ」は1対多数でやるものなのです。
群衆とかした人間は、それはそれは残虐になれる。そして強力で打開ができない。
つまり、被害者の勝率が圧倒的に低い「いじめ」になってしまえば、どんな事情があれ絶対的有利な加害者が「悪」になるのです。
言い方を変えれば、どんな人数比であろうともお互いに勝ち目のある状態なら双方に責任が存在するといえます。
具体例は、フランス革命の時の「群衆」と「王侯貴族」の関係でしょうね。
だから、ルイ16世やマリーアントワネットだけでなく、革命家のロペスピエールもギロチン送りになった。
そこにどちらが悪いということはない。「どちらも悪い」のだから。
ということで、私は現状に対して非常に不満を持っています。
いっそ、いじめの告発があった段階で刑事罰の適用まで考えるのが妥当だと思う。
世間は理解していない。
「いじめられる側にも責任がある」とかぬかす人間もいるが、それは「強者の理論」だ。
ひとたびいじめられる側に陥ったら、どんな弁明をしても、「決して」その関係は覆らない。
いじめられる側の問題?
そんなものよりも、「いじめ」という行動のほうが数千倍の悪である。
なぜなら、「いじめられる原因」を「取り除いた」としても
「新たな」、「虐められる原因」でもって「虐め」から抜け出すことを不可能にするからだ。
性善説を信ずる存在にとっては信じがたいだろうが、
「人間とは、そういう存在である。」
「人間」は、「数が集まれば」「いかなる行為」でも「正当化する」「野蛮な存在」だ。
これは歴史を紐解けば容易に、分かることだ。
今回の事件だって、その片鱗に他ならない。
だからといって、私自体も人間であることに変わりはないし、
社会を、世界をどうこうるつもりは全くない。
言いたいことはひとつに帰結する。
「いじめは、虐める方が絶対的な悪である。第三者は、虐められる側に一切の虐を行ってはならない。
第三者は積極的に、虐めを終局させるよう働くべき、あるいは加害者を止めるべきである。」
以上。
あー、すっきりした。
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