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三島由紀夫。

2011年12月11日 06:59

三島由紀夫。私の好きな作家です。

 そのセンセーショナルな死から受けるインパクトの強い作家ですが、私なりに彼について書いてみたいと思います。

 三島が生まれたのは1925年1月14日。昭和元年です。三島の人生は昭和とともに歩み、消えていったといえます。

 三島由紀夫本名平岡公威」は農林水産省に勤めた平岡梓の長男として東京にうまれます。

 平岡家は平民宰相といわれた原敬首相のときに事前に暗殺計画を察知し、原に伝えたことで起用された三島の祖父にあたる平岡定太郎からの官僚一家です。

 昭和とともに生まれ学習院で学んだ三島は学友たちと同人誌を発刊し、18歳のときに処女作である「花盛りの森」を出版します。

 三島ペンネームの由来は諸説ありますが、学習院の恩師である人が「三島から観た雪をかぶった富士山は美しい」との言葉から「三島由紀夫」というペンネームになったといわれています。

 三島処女作は「仮面の告白」と思われがちですが、第二次大戦の拡大につれて戦争に行くことを決意していた三島は本籍である兵庫県加古川での徴兵検査まえに自作を出版したくて、18歳で「花盛りの森」を出版したのです。

 戦火が拡大するにつれ貴重品となった紙をどうやって手に入れたか。それは祖父の定太郎の力が強かったといわれています。

 定太郎は原敬に重用され初代樺太長官となります。いまでもそうですが、樺太パルプ材などの樹木の栽培が盛んで、王子製紙などの製紙メーカーとも付き合いがありました。そういう関係で紙を手に入れられたといわれます。

 三島徴兵検査の際に肺病と誤診され結局戦争にいくことはありませんでした。

 学習院卒業後に東京大学法学部ドイツ法学科に進み、三谷邦子という人と付き合います。

 東大卒業後、大蔵省に入省したものの職業作家への夢が捨てられず七ヶ月で辞職し職業作家となります。

 「仮面の告白」は同性愛をうかがわせる内容になっていますが、恋人であった三谷邦子が他の男と結婚することになり、その反動から書かれたものです。

 三島同性愛であったとかホモセクシャルであったとかいうことはないと思います。

 三島が脚光を浴びることになった作品に「潮騒」があります。これはギリシャ神話の「ダフニスクロエ」をもとにして書かれていますが、この頃に世界一周の旅にもでています。

 「潮騒」は三重県の神島を舞台に描かれていますがなぜ神島かというのは実に簡単なことでパチンコ屋がなかったからです。それと三島の父梓は当時には農林水産省水産局長になっていて三重県息子の取材協力を依頼したそうです。

 「潮騒」は人気を集め三島デパートに出かけているという情報をつかむと各映画会社が映画を作りたいがためにデパートの館内放送で呼び出したりもしたそうです。結局「潮騒」は四社から映画化されました。

 精力的な作家となった三島は六鹿寺の金閣放火炎上した事件を小説化しょうと思い、精力的に取材に入ります。ただ、六鹿寺は三島の取材依頼を断りました。それは小説金閣寺」が舞鶴から始まっていることと関係があるように思います。

 三島は次々と作品を発表していきました。「宴のあと」などは都知事選に絡んで裁判沙汰になりましたし、徐々に三島は独自の世界を作り上げていきます。

 三島はボディービルを始め、自衛隊への体験入隊などの行動をとっていくようになります。

 この頃に出版されたのが「鏡子の家」です。三島白金に白亜の豪邸を建て、住んだのですが、私はこの「鏡子の家」をもって三島ノーベル文学賞を受けたと思います。

 三島という人は純粋に美意識あふれる人で、「黒蜥蜴」の初演の際には舞台下手にいた三島は歌った三輪明宏のまえで涙を流していたそうです。

 三島エッセーも発表していき「葉隠れ入門」「行動学入門」「わかきさむらいに送る言葉」などを発表していきます。

 恩師である川端康成ノーベル賞をとったときには川端の別荘で伊藤整の司会で何日も寝ていないような川端康成を真ん中にして三島スーツ姿でタバコをふかしながらインタビューを受けています。

 三島川端康成を先生とは呼びませんでした。「川端さん」と呼んでいました。

 三島はタイへの旅行にいくようになり、ワットアルンなどの遺跡を観て「豊穣の海」四部作へ取り組みます。

 四部作の最後「天人伍衰」が脱稿し、昭和四十五年十一月二十五日。と書いたあと車に乗り市ヶ谷へと向かうことになります。

 三島の誤算は東部方面の自衛隊の主力はその日、富士山へ演習にでかけており、残っていたのは事務方だけだったのです。


 三島由紀夫日本人として日本を書いた作家だなと思います。

 篠山紀信の撮った写真に鏡に映る自分を見つめる三島写真があるのですが、三島という人は自分に惚れてしまったのだなと思います。

 川端ノーベル賞をとったときに、記者の次のノーベル賞は?との質問に「俺じゃなくて、大江だよ」と応えていますが、三島すごい人だったのだなと思います。

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