- 名前
- kazuyalg
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- 年齢
- 53歳
- 住所
- 青森
- 自己紹介
- 青森市に住んでいるかーずといいます (ライヴに行くことも含めて)音楽を聴くことがいち...
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鎮魂歌~レクイエム~ それとも・・・
2011年03月19日 03:49
天災によって踏み躙られた街
そして、そこにあったはずの
かけがえのないたくさんの生命・・・
停電から解放され
真っ先につけたテレビの画面から
目に飛び込んできた
信じられない光景の数々・・・
でも
そのどれもが真実・・・
身の危険を顧みず
その映像を撮っていた人々は
何を思い
何を考え
何を感じ
何を私たちに伝えたかったのだろう
自分たちの故郷が
押し寄せてきた津波によって
飲み込まれていく
無念さ
愛する家族や仲間らが
逃げ遅れ
次々に命を落としていった
悲しみ
突然やってきて
あっという間に
全てを奪いつくしていった
津波への
憎しみ
あぁ
どんなに想像しても
想像だに付かない
想像したところで
亡くなった方々
壊された街並みは
戻ってこない・・・
1896年
1933年
1960年
三度の大きな津波被害を乗り越え
その度に
街を建て直してきた
三陸地方の人々
生まれ故郷を離れずに
そこに留まることを
選んだ人たちがいたから
そこに街があったのだ
でも、今はどうか?
あの
毎日のように
否応なしに
テレビ画面に
映し出される
被災地の現状
それまで
人が住んでいた場所は
大きな水たまりと
化していた
水がひいたところは
たくさんの瓦礫が
街を覆い尽くしていた
その変わり果てた光景を
目の当たりにし
被災地の人々は
何を思っているのだろうか
そして
そして
未曾有の天災から
難を逃れ
助かった人々・・・
避難所の暮らしを
テレビで
垣間見ただけで
その想像を絶する
厳しさが
私たちに
伝わってくる
固い床の上で
真冬のような極寒の中で
満足な食事もとれず
夜は
わずかばかりの
明かりが灯る
暗がりの中で
八回目の夜を
迎えている
日本中の人々が
被災地の皆さんに
思いを巡らし
そして
心から
皆さんの無事を
祈っている
その善意によって
集まった
救援物資が
なかなか
避難所に届かないという現実
せっかく
命からがら
逃げ延びてきたのに
避難所で
亡くなっていく方がいるという現実
未だに
自分の家族や仲間らと
安否について
伝え合う術を
もたない人がいるという現実
こんな不条理な現実を
放置しているのは誰?
犯人探しをするつもりはないけど
でも
どう考えても
おかしいのは確かだ
どうか
被災者の皆さんの
希望の芽を
摘まないでほしい
ただでさえ
あの時から
不安で
辛くて
苦しくて
悲しくて
寂しくて
やりきれなくて
たくさんのことに
疲れてしまった人たちだから・・・
一日も早く
被災者の皆さんに
不自由のない暮らしが
再び戻ってくることを
心から願いたい
そして
被災地全てが
復興する日がくることを
願わずにはいられない
自分に
何ができ
どんなことがやれるのか
今
日本中のみんなが考え
それぞれ
実行している
どうか
その気持ちを
受け取って
あきらめることなく
まずは
生き延びていってほしい
「地震が、津波が、憎くてたまりません。」
と言ってた
アーティストがいた
被災者のみなさんの
気持ちを
真直ぐな感情で
代弁した言葉だろう
地震の野郎も
津波の野郎も
八つ裂きにできれば
どんなに気持ちがいいだろうか
「~これはやっぱり天罰だと思う。」
と言ってた
政治家がいた
被災者のみなさん
そして
今回の大震災で
亡くなった方々を
冒涜する発言だろう
こんな
人間性のかけらも
感じられない政治家を
知事に選んだのは誰?
2,811,486人の
東京都民は
また
この方に
一票を投じるのですか?
誰かが言っていた
「この大震災は、太平洋戦争後
初めて国民が直面する国難である。」
全くもって同感である。
被災地だけでなく
全く被害のなかったところに
住む人々までもが
これほどまでに
混乱したことが
戦後
果たして
あっただろうか?
ない
断じてない
誰でも分かることだ
確かに
天災は
かつても
度々
日本を襲った
天災だけでなく
信じられないような
事件もあった
しかし
しかしである
悲惨な光景を
今までにも
たくさん目にしてきた
私たち日本人を
ここまで
恐怖と絶望のどん底に
突き落とした
天災・事件が
かつてあっただろうか
地震による
大津波は
原子力発電所までをも
危険極まりない施設に
変えてしまった
何がレベル4だ
誰がどう見たって
レベル6以上の
大事故だ
1989年
1990年
1992年
何が起こった年か
分かるだろうか
福島にある
第一・第二原発の
トラブルがあった年である
着工から40年以上も
経過している
古い施設だ
老朽化はまぬがれようもない
資源の少ない
日本が
安定した
電力の供給を
求めた結果が
原子力発電所の
建設だった
もはや
こうなれば
原発事故は
人災である
そのために
どれだけの数の人が
泣く泣く
住んでいた土地から
避難する羽目に
なったか
そして
日々見えない恐怖と
対峙することに
なったか
それにしても
これでもか
これでもか
というくらい
日本を
いためつけるような
出来事が
多すぎるような気がしてならない
先の
ニュージーランド地震により
多くの邦人が建物の
下敷きになったこと
日本各地での
鳥インフルエンザの
発生
記憶に新しい
新燃岳の噴火
この冬の
大雪
いったい
どうしてしまったんだろう?
これは
日本人への
試練?
警鐘?
確かに
いろいろと
思い当たる節はある
食料自給率が
主要国の中でも
最低ランクにあるのに
飽食ニッポンと
諸外国から
揶揄され
大量の食べ残しや
廃棄による
食品ロスが
後を絶たず・・・
それに対し
開発途上国では
飢餓や
栄養不足の状態の人が
8億人いると言われ
貧困のために
5歳になる前に
命を落とす子どもが
3秒に1人いるという現実
快適さを求める
生活スタイルの定着による
エネルギー使用量の増加
資源の少ない日本が
世界第4位の
エネルギー消費国となっている現実
つまり
つまりだ
日本という国は
開発途上国から
農産物を始めとする
食料や
石油を始めとする
エネルギー資源を
悪い言葉で言えば
搾取し
その国の
一部の人たちだけを
裕福にさせ
大部分の人たちを
貧困に喘がせているのだ
ODAで
実績があるじゃないかと言うが
技術提供はよしとして
資金援助は
大都市のインフラ整備に
使われ
本当に貧しい人たちのために
使われてはいないという現実
今回の大震災を
日本の国の
未来を
国民一人一人が
考え直す
きっかけとしてほしい
被災地で
無念な気持ちを
抱いたまま
天に召されていった人々が
愛していた国だった
この日本を
再建していくのは
他でもない
残された
この私たちであることを
肝に銘じたい
各地の
避難場所で
身を寄せ合いながら
一日一日を
雄雄しく
生き抜いていこうと
必死の覚悟で
明日を迎えようとしている
被災者のみなさん
私たちは
絶対に
絶対に
あなたがたのことを
見捨てたりはしません
人と人との絆
私たちが
忘れかけていた言葉であり
この国から
徐々に
なくなろうとしていた
この言葉を
今
私たちは
この胸に
はっきりと
刻みました
最後に
突然の天災によって
実にたくさんの尊い命が
奪われたという事実
あなた方のことは
絶対に忘れません
月並みな言葉だけど
心から
心から
ご冥福をお祈り申し上げます。
このデジログへのコメント
自然災害も怖いけど
原発は、もっと怖い、
犠牲が大きすぎますね。
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