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2010年05月26日 20:54

「恋する」と『愛する』の違いを言葉にしてみる


「恋する」というのはともすれば「性欲」に喚起されるものと言えるのだろうか。
「相手のこと」で頭がいっぱいで、「好き」という気持ちを熱烈に伝え、相手に振り向いてもらえるように一生懸命になったり、「相手の事が好き」という感情が手に追えず、臆病になったりすることと言えるのかもしれない。

恋に臆病な「自分」が、その殻を破る時、
感情を思いっ切り爆発させ突き進んでいく様は“いのち”の輝きとも言える。
それはどちらかと言えば、「前」に向かっていく性質のものと言えるのかもしれない。

しかし、「前」に出る性質があるということは、「後」に戻る性質も併せ持っているということ。
心は不安定になり、「恋」は満ちたり欠けたりする。
その恋心(感情)が満たされない時は「失恋」という経験をすることになる。

その一方で『愛する』というのは、何かをしたり、されたり、それによってその大きさを知れるものという類のものとは別物。
形のある「何か」とは違うものだから、「言葉」を頼りにしてはあるのかないのかわからない。
「恋」がもつ熱烈さや臆病さは昇華され、『強さ』の中に融け込んでいる。

キスをしたり抱き合ったりしたからと言って、それが『愛』なのか「恋」なのかは目には見えない。ただ言えることは、『愛』があるのなら、それらのものはあってもなくてもどちらでもいいものだ。
「どうしてもそれらがなければ証明できない」と言うのであれば、それは『愛』とは別のもの。

「恋」も『愛』も、「好き」という気持ちが沸いてくるのは同じかもしれないが、性質が異なる。
「恋」は、外(相手)に向かって突き進むが、
『愛』は、内(自分)に向かって深く深くどこまでも掘り進んでいく。

そうしたある時、ある地点に到達したとき
『自分自身』がまさに“愛”そのものだとわかる時が来る

そうして
『自分自身』がまさに“愛”そのものだと知れたら

今度は“愛”そのものが
“あるがまま”に
内から外に向かって
世界の隅々まで
どこまでも広がっていく

「恋」というものは
「好き」が風に乗ってどこからかやってくる
その風が吹き去ってしまえば、それとともに消えてしまうもの

『愛』というものも
最初は、「好き」が風に乗って訪れるのかもしれない
しかし、その風が過ぎ去っても消えることはない

「好き」は風には流されない
「好き」は『大切』に変わるからだ
そこには 大いなる“意志” がある


“愛”は言葉を頼りには見つけられない

それでも、“愛”とは

こぼれ落ちそうな心(感情)のひとつひとつを

この“一瞬”にしまい込むように

そっと抱きしめること

そう言えるのかもしれない


ここに書いた「恋」や『愛』は
「恋」や『愛』そのものではなく
それらは言葉にすぎない

あなた自身の“愛”を
あなた『自神』の中に
見つけることを願って。




とあるサイトからの抜粋です

私に中では
好きとか嫌いとか
どうでもいいような気がします

一度失敗すると
どうでもよくなるんでしょうかね~

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