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理由でも。
2009年04月12日 18:10
大分前に書こうとして書かなかったままなので、憶えていらっしゃる方がどれだけいるのか?!と思いつつも、以下どうぞ。
((ちなみに2008年度は卒業論文に追われ、12月中旬から卒論だけで1日14時間程度費やしたせいで、センターは満足のいく点数が取れず、失敗しました(涙)))
余談はさておき。
今度こそ以下、私が医者(医学部)を目指す理由です。
興味のある方のみ、お付き合いください。
私が大学生になってすぐの頃に、父親が癌だとわかりました。
ステージは4です。(※最も癌が進行している状態)
父親は自分の仕事を愛していて、仕事が趣味みたいな人でした。土曜や日曜も職場に行くのを、小さい頃から何度も見て来ました。仕事のし過ぎと、あと胃の調子が悪いと知りながらも市販の胃薬だけを飲んで、ずっと医者の診察を受けなかったために、癌だとわかったときには手術をしても無駄な状態になってしまっていました。
余命3ヶ月から半年。
お医者様はそう告げました。その日から、『父に癌の告知をするのか、しないのか』『癌の告知をするとしても、余命を告げるべきか、告げないべきか』父を除いた家族全員で話し合いました。
結局話し合った結果、告知をし、余命を告げました。父は入院し、闘病生活が始まりました。私は大学1年になったばかりで、当時単位はほぼフルで入っている状態でしたが、隙を見つけてはお見舞いに行きました。
手術も、やれるところはやろうということで、何度か行ないました。手術の度に痩せていく父を見るのはつらかったです。それでも看護婦さんから「あなた達がお見舞いに来た時は弱音を吐かないように、お父さん、頑張ってらっしゃるのよ」と言われて、病院内のコンビニに行く振りをして一人泣くこともありました。
父はお医者様に告げられた余命よりも長生きし、癌がわかってから一年後、亡くなりました。
そのときに医者、医学部を意識しましたが、共働きとはいえ父がいない状態での再受験は、家の経済状況からして無理、あるいはかなり難しいだろうと思いました。
そして私が大学3年になって暫くした頃、今度は母が癌だとわかりました。母は身体が人一倍弱く、またそのために母自身、人一倍健康には気を使っていたので、非常に驚きました。(父のときは父のときで、父はほとんど病気にならなかったので、癌だと知ったときは相当驚きました)
色々検査を受けた結果、やはりステージは4。
幸いにも手術が成功し(手術自体は3回行ないました)、今は抗がん剤で少しずつ癌をなくしていく治療に移っています。
それでもやはり手術後は毎回とても苦しそうでした。
最悪のことを考えて、母は自身が死んだ後に取るべき保険などの手続きをノートに書きました。それを見せられたときはとてもつらかったです。
入院は一年近くしました。(今は通院という形です)
母の職場に何度も休職願いに頭を下げに行きましたし、お見舞いは毎日のように行きました。携帯に病院から電話がかかってくるたびに泣きそうになりました。(何度かありました。数回で済んでよかったです…)
そうした色々のことがあり、母に「医学部を受験したい」と言ったとき、母は自分の人生だから自分の生きたいようにしなさいと言ってくれました。母は社会人になったあと、自分で働きながら通信制の大学で学んだと聞いていたので、その言葉は凄く重みのあるものでした。
そんなわけで2008年度と2009年度だけチャンスをいただきました。既に述べた通り、2008年度は卒論にかかりっきりで駄目になったので、チャンスは今年だけとなりました。
もし今年受からなかった場合は(※財政的に国公立医学部しか進学出来ません)、全力を出し切ってすっぱり諦めれたときには就職します。やっぱり諦められない!と思った場合は、就職してかつての母のように働きながら、勉強を続けます。
目指す理由は以上です。細かいところは多少はしょりましたが、これが私の大きな軸です。
このデジログへのコメント
> ひかるさん
お悔やみ申し上げます…。
今は(母の)抗がん剤が効いているようで一安心です。
母が元気なうちに合格したいなぁと思っています。
遅くなった。私も2年前に母を肝臓癌で亡くした。母は医者の家系でね叔父が二人医者だったけど駄目だった
> 御茶ノ水博士さん
博士さんもつらい思いをされたのですね…。心痛お察しします。
医者であることがそのまま病気に対する最善の手段を講じられることに直結しないのは苦しいですね…。
それがちっとも辛くない。85年の人生母は本当に良く生きた。母の息子である感謝の気持ちで一杯だ
東大医学部出身の二人の叔父は、日本で5本の指に入る名医だったが、その死に顔は見るも無残だった
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