デジカフェはJavaScriptを使用しています。

JavaScriptを有効にすると、デジカフェをより快適にご利用できます。
ブラウザの設定でJavaScriptを有効にしてからご利用ください。

貧乏でも幸せな者あり

2008年02月03日 23:50

まずは、今日の日記から。

今日、家賃を払いに大屋さんの所へ行ってきました。
毎月、大屋さんのお顔を拝見しに、行っています。
前回、大晦日だったのでお米やお野菜やお餅などがいただけた事を書きました。
今回、節分だという事もあり巻ずしを頂戴してきました。
毎回、ちょっとしたものをくださるのですが、先月・今月のいただきものには特に有難くいただけてます。
農家、自家用の収穫された材料利用の食物は違いますから。
店舗、販売されている農家持込の場合でも違う事もあります(法律尊守しての流通[販売]ならお米の乾燥は徹底されているだろうし、農家の自家用では可能なおいしい状態を保つ事は不可能になっていると思いますし)。
一本、いただいたのですが280gもあり2日間食べれそうです。
会話、大屋さんと25分~30分程して戻りました。


日記は書いたところで本題のトラックバックに入ります。

> 私はどうしても、自殺する人の気持ちが分からないぉヾ(・ω・`;)ノぁゎゎ
> 理解しようと思うほどに理解出来ないんだぉね・・・。
> 人から不幸だと思われることでも、本人の気持ち次第で
> いくらでも幸せになる事も出来ると思うから∪*ゝω・)bйё

今の私にも『どうしても、自殺する人の気持ちが分からない』です。
私の感覚は『理解しようと思うほどに理解出来ない』とは少し違って『他者の事は私には理解不能なので、理解しようという努力はしても仕方ない』という感覚の方が強く在ります。
私は、生きれない程貧乏だって、生きれなくなるまで生きれば良いと思います。
人も動物なのだから、貧乏で食べれなくてのたれ死するのもあり得るでしょうが、自身で死のうと行動するのは嫌だという思いが強いです。
自ら命を終わらせる方には、貧乏からのみでなく色々な場合があるようですし、それら様々な状況を理解するのは難しいでしょうし、僭越だとも感じます。

前にも書いたかも知れませんが、自身が路上生活一日100円未満生活していた時期も半年以上一年未満ありますし、正直いつまで生きれるかという不安は強くもってましたが不思議と不幸せとは思ってませんでした。
その時には、公共施設で水が飲またりしていたので日本はそんな者にもある程度生き易い国なのだろうと感じてました。
公共施設でご一緒し話す機会があった生活保護をお受けになっていらっしゃる方にはあわれみの様な感覚を持たれたり同情されていたり安く生きれている事に感心されていたりしていた様ですが、自身で生きれている私の方が幸せだと思ってました。

もし、喜んでご支援いただける方が現れたらありがたくお助けいただけば良いと思ってましたし、そうでないなら支援されなくとも構わないと思ってました。
実際、生活保護受けたいという感覚は全く起こりませんでしたし、羨ましいとも思いませんでした。

私の場合、この生活が変わる機会は喜んでお助けくださった方が現れた事でした。
家賃無し、光熱費のみ支払うという事でお部屋をお貸しくださいました。お亡くなりになった息子さんと同じ年頃、感じたという事でお助けくださったのでした。
その時は、住所ができると仕事が見付かりその生活を変える事ができました。


機会があれば続き書くかも知れません。

よく書かれている通り、法律政治行政乖離しています。法律に書かれている綺麗ごとと政治行政の行いは全くもって………。

このデジログへのコメント

まだコメントがありません。最初のコメントを書いてみませんか?

コメントを書く

同じ趣味の友達を探そう♪

  • 新規会員登録(無料)

プロフィール

偏

  • メールを送信する

偏さんの最近のデジログ

<2008年02月>
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29