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みんな、ありがとう!
2005年05月01日 23:23
誕生日のお祝いメールを何通も頂いてる。個別に御礼したいのですが、それもなかなか大変なのでこの場で御礼申し上げます。
僕の日記をいつもお読みの方ならおわかりのことと思いますが、十数年間、僕は生きていることがつらい思いで過して来ました。それゆえ、誕生日はその思いが重くのしかかるものだったのです。僕は楽天の無料ホームページサービスのブログに極たまに書いている(殆ど放置)のですが、去年の誕生日に書いていることをそのままここに引用しようと思う。タイトルは<またもや>であった。以下引用。
メーデーを迎えた。とうとう30歳代も後半に突入である。齢を重ねるのはせいぜいあと7回以内で打ち止めとなって欲しいものだと思う。そのココロは・・・?
話せば長くなるので部分的な話になるが、一応書いておこう。
昔は数え年で、新年とともに皆いっせいに年を取った。一休禅師は「門松は冥途の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」と歌った。年を重ねるということは、確実に死が訪れるその時に近づいているということである。自分にとってはこれがめでたくないことと考えるのは難しいのだ。
道元禅師は「徒(イタズ)らに百歳生けらんは恨むべき日月(ジツゲツ)なり、悲むべき形骸(ケイガイ)なり」と説いた。我が身を想えば、この身の生存を維持する為の雑事に追われ縛られることばかり多くして、命永らえる程人生を有意義に生かし切れない過失を重ねることばかり多く思え、早く命終の時が訪れたほうが咎少なく済むことになり、ましであるように思えるのだ。
そんな風に考えずに済む余裕のある生活になればいいが、今後の我が人生、果たして我が身の長寿を願える時が来ることはあるだろうか?
以上のように心情を述べている。およそ毎年同様のことを思う。けど今年は様子が違う。デジカフェに来て約ひと月。毎日が楽しく例年の辛さを感じずに済む誕生日。無気力に苦しむ男が寝る間も惜しむ楽しみを手に入れた。何故そうなるのか不思議だけど。生きて行くということに変化を感じる日々。みんな、ありがとう、僕は君達から生きる力をもらってます。
あ、検索すると僕のホームページばれちゃうね。ま、いっか。
オモテのプロフの写真またかえました。日がかわるとオモテのチャットが無料だってね。やってみようか。お部屋GET出来るかな?
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