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赤い靴; 見た映画、 August 07 (1)
2007年08月22日 07:33
赤い靴 (THE RED SHOES)
1948年
イギリス映画、カラー 133分
監督:マイケル・パウエル
エメリック・プレスバーガー
製作:マイケル・パウエル
脚本:マイケル・パウエル
エメリック・プレスバーガー
撮影:ジャック・カーディフ
音楽:ブライアン・イースデイル
 
出演: モイラ・シアラー
アントン・ウォルブルック
マリウス・ゴーリング
ロバート・ヘルプマン
アルバート・バッサーマン
リュドミラ・チェリナ
ロンドンのバレエ団に、ビクトリアという少女が入団した。団長のレルモントフにその才能を見いだされ、彼女は“赤い靴”のバレエ劇に出演することになる。公演は大成功をおさめ、ビクトリアは一躍スターとして認められる。だが、その地位は、“赤い靴”のように、彼女に踊り続けることを要求するものだった……。パウエル&プレスバーガーによる映像美の極致。これほどまでに“赤”の美しい画面は存在しないかもしれない、、、、、というふうに映画データベースには書かれていた。
私がオランダのゼーランド州に家を2週間ほど借りて家族で避暑に来ていたときに町を歩いたり田舎をサイクリングするのにも飽きて家族が海辺へ出かけた一日何もしないで家の中でぶらぶらしていている午後の普通はこんな天気には午後4時にテレビなどつけないだろうと言う時間にイギリスBBC局で放映されていたものである。
だれも見ないだろうというこの季節にBBCではイギリスの映画史をたどるというシリーズをやっていてそれまで白黒の映画は幾つか見ていたものでありそういうものであれば読みかけのパーパーバックに戻っていたものが新聞のテレビ蘭の「赤い靴」の題名でソファーに腰掛けて見る気になったのだ。
50年代、60年代のテレビ勃興期に育ち、中学生の頃には幾つかの映画を少ないながらも自分の小遣いから見るようなこともして高校生になるとこころよく思っていた同級生の女友達ともデートで出かけたのが「戦争と平和」だったり「サウンドオブミュージック」だったりしたのだがデートの映画は大抵女学生好みで戦争、活劇、冒険ものが好みの少年にはバレーなどは軟弱のきわみで男友達にはとてもバレーなどという言葉は発せられなかった。 そのような事情は同じく近年のイギリス映画で少年が寂れた炭鉱町で荒くれ男たちが日常と格闘する中、そんな炭鉱家族の「ビリー・エリオット」少年がバレーを通して世界に世に出るという、一面では上昇志向万歳とも取れなくもない映画からでも察せられるかもしれない。ここでは父親、兄、ビリーにダンス、バレーを教える女教師が特にいい。
私が少年のころ友達とこういう映画を見た、という私に母親が「お前、それでもな、この映画はよかった、もう一度見てみたいなあ。 一度履いたら死ぬまで踊り続けるバレーシューズでなあ」と母親が夢見心地で言うところで、何だバレーかとこちらの気持ちはもう他に行ってしまっていたのだが、その母親の夢見心地が40年以上ぶりに思い起こされたのがリモコンのスイッチを押した大きな理由だ。
その当時、50年代初頭だからカラーはまだ少なかったのではなかったか。 だからこのようなロマンチックな映画が、戦前、戦中と夢多き女子学生であった母親の戦中の印象は色で例えると濃いグレーだったと語っていた後に見た若い女性の脳に与える衝撃は如何程のことだったのか戦後60年以上経って生活する今の若い女性たちにこの映画が与えるものとは比較の仕様がないのではないのかとも思った。
ビリー・エリオットでは70年からこちらごろのイギリスの炭鉱町で、踊りに喜びを見出していくヘンな男の子のを通じて当時の社会状況をも照らしそのような町に合わない「お上品な」バレーを庶民が近所のビリーを徐々に支持していくという暖かいものであるのだが40年代後半のロンドン、コベントガーデンで始まるのだからこれは芸術世界のバレー映画なのだ。
男の私たちの年代は西部劇と戦争映画で育ったようなものだが間にはミュージカルのようなものが混じり、当時ハリウッドの大スタジオで製作された今ではCGでしか見られないような大掛かりなヴァーチャルではない「本物の」ダンサーたちが大規模に踊る映画も横目では見ていたような記憶がある。 当作品でもこれがイギリス映画であり、ロンドンの模様が出て言葉がちゃんとした標準イギリス語であることからすればイギリスであるのだがぼやっとみていると成功するにつれヨーロッパ、特にフランスの場面で山場を迎えるあたり芸術はヨーロッパ、フランスというようなアメリカ映画の定番設定にはアングロサクソンのフランスへの憧れが充分窺われるのだ。 そこまでいかなくともバレーであるのだからフランスなのかもしれない。 けれど団長のレルモントフはロシア名であり主人公が抜擢される前のプリマドンナもロシア名だったのだからここでもバレリーナの伝統が踏襲されている。
愛を取るかその世界で最高の芸、仕事をとるかという突き詰められたところにアンデルセンの赤い靴の童話が絡み、或る意味では今のキャリアをとるか家庭に入るかという現代的な問題とも取れるのだがそこに自分が組織する芸を極めるためには何物をもいとわない初老の団長の、恋する主人公バレリーナに対する嫉妬をも含めた権力をめぐる物語に童話の悪を絡ませた上手な造りになっている。
当時のモンタージュ技術はたいしたものだ。 芸術映画に芸術的な香りを映像でみせるのに用いられる色彩と意匠はビリー・エリオットと並んでオスカーを受賞するのに充分値する。 今、これに相当するようなバレー映画は作られているのだろうか。
しかし、子供の時には鼻も引っ掛けなかったような映画に初老となって感動するのだからそこにもクラシックの意味があるのだろう。
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