- 名前
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- ソロモンフェチです。ソロモン諸島をめぐる日米消耗戦を小説にしています。生活は株投資、...
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ゼロ戦や飛燕、隼の設計や技術屋が残したもの
2023年03月18日 23:34
戦後日本の航空機メーカーの中島飛行機や三菱はGHQから解体命令が出て、日本は戦闘機
攻撃機を製造出来なくなった。
それで三菱、中島、川崎らの設計者や技術屋らは、自分達の技術を平和な世の中に活かすべく様々な創意工夫をし、偉大な遺産を残してくれた。
戦後の初めての国産旅客機YS-11は、三菱中島の技術者が基本設計を担当し、アメリカの認定を勝ち取り、日本の空を飛んだ。そして海外から注文まで来るようになった。(YS-11は2006年9/30で引退した)
新幹線の走行技術もゼロ戦の技術が活かされている。ゼロ戦の機体振動を制御した技術者が
横揺れを防ぐ台車や鉄道車両の快適な乗り心地を生む空気バネの発明にたどり着いた。
新幹線の丸みを帯びた外観も陸上爆撃機銀河をモデルにしていた
胃カメラの発明もゼロ戦の20mm機銃の中の状況を診断するシステムを担当していた技術者が開発発明したものだ。
数えればさらに紹介すべき技術もある。
これは1か月前位にNHKが放映していたものだ。
最後に既に亡くなっているがゼロ戦の設計者である堀越二郎が残した言葉を紹介していた。
「失敗にめげずに研究を続ける努力を怠ってはならない。
失敗こそ新しい技術が生まれるもとになるわけだから。」
当然その通りです。しかし失敗にめげずに皆行動しているのだろうか?
そのように自ら行動しても周りは冷ややかに見ているだけの人が大勢いる。
自分が晩年過した会社の様子だった。
行動してもがいている人を、行動もしない動こうともしない人達が冷ややかに見ている。
そんな事あってはならないのである。堀越二郎の残した言葉は重く受け止めなければいけない。
「様々な失敗のデータがいくらでもある。それは貴重な財産である。それが成功の基になるからだ。」
そう言っているのはあのイーロンマスクだ。
失敗しても事業化を諦めない人には辞めて行ってもらう社会。
何もせずうまく立ち回る人が出世する世の中これが今の日本。
日本の航空機を開発製造した技術者達は今の日本をどう思うのだろうか。
きっと情けないと思うだろうな。
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