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忘れさせない残酷さ

2021年03月10日 02:31

この時期になると東日本大震災にまつわる事柄がニュースをにぎわす。
今年の東日本大震災に関するニュースの取り上げ方が明らかにこれまでと違うほど顕著に
「情緒的」
な内容に変化していることに私は違和感とともに危機感を抱く。

阪神淡路大震災東日本大震災をはじめとして大災害があるたびに
「この悲劇を忘れないようにしよう」「記憶を風化させないようにしよう」
ということが当然のように言われる。
現実として地震からどの程度の時間でどこまで津波が来たか、という記録を忘れないようにしておくことは極めて重要。
しかし悲劇を語り継ぐ必要があるのか、私には甚だ疑問。
心底立ち上がれないほどの悲劇を味わった人は絶対に
「忘れないようにしよう」
などとは思わない。
立ち上がるためにはいかに
「忘れるか」
のほうがよほど重要ではないか。
ところが、その時期が来るたびに全く傷ついてもいない周囲が勝手にセレモニーのように大災害を盛り上げ否が応でも思い出さざるを得なくなる。
そして次に進むための「忘れる」という作業を阻む。
ピクサーは「インサイドヘッド」においてこの「忘れることの重要さ」を描き切ったことが衝撃的だったが、この大切なことを余りにも多くの人が蔑ろにし過ぎているのではないか。

10年も経過していくとなぜか人は悲劇を「物語」として語りたがるようになっていく。
これはサピエンス全史の著者であるユヴァル・ノア・ハラリが人間がここまで進化した理由として最も強調してることでもある。
ですからもうこれは完全に人間の性といえるのだろう。
今回のコロナ騒動においても現実と全くかけ離れた「物語」として10年後には語られるようになっているはず。
そして記憶を風化させない、という主旨がいつの間にか「情緒的な気持ち」を風化させない、という何の役にも立たないことに変化していく。

後世に伝えるのが「想い」であってはいけない。
後世に伝えるのはありのままの事実であって欲しいと切に願う。

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