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成程話:ブドウ畑の主人

2016年10月29日 23:54

聖書にある「ブドウ畑の主人」の話。


聖書には、天国ブドウ畑のようなものがある、という話があります。神をブドウ畑の主人になぞらえています。
あるとき、ブドウ畑の主人は、朝の六時ごろ市場に行って、労働者を雇います。
デナリの日当で働かないかといって人を集めました。一デナリは一万円ぐらいでしょうか。
次に九時ごろ行って、人を雇います。
次に十二時ごろ行って、まだあぶれている者がいたので、その者を雇います。
それから五時ごろ市場に行くと、まだあぶれている者がいて、その者も雇います。
そして、仕事が終わった六時になると、一人ひとりに、約束の日当の一デナリを支払いました。
最後に来て五時から一時間しか働かない者にも、他の者と等しく一デナリを支払いました。
最初から働いていた者はもっともらえるかと思っていましたが、一デナリしかもらえなかったので、「朝六時から十二時間働いているのに、同じじゃおかしい」と文句を言います。
しかし、ブドウ畑の主人は、「あなたとの契約は一デナリであった。その約束は守った。それなら、他の者にいくらやろうと自由じゃないか。それともおまえは妬ましく思っているのか」と言います。

わたしの「南無阿弥陀仏
ひろさちや
佼成出版社より


いかがでしょうか?
腑に落ちない人もいることでしょう。
一時間働いて一デナリ報酬をもらうのと、十二時間働いて一デナリもらうのでは、一時間でもらうほうが得だと思ってしまいます。
でもそれは、自分で勝手に作った物差しなんですね。
この著書にこうありました。
――よく考えてみてください。
五時から一時間働いた男は、みんなと同じように朝早くに家を出ているのです。
そして、「おとうちゃん、明日運動会があるんだ。運動靴買ってね」と子どもに頼まれて、「ああ買ってきてやるとも」と言って家を出ます。
ところが、待てども待てども、誰も雇ってくれません。
昼過ぎになっても、夕方になっても、雇ってくれません。
しょんぼりして、家に帰ろうかとも思います。
でも、もしや誰かが雇ってくれるのでは・・・と待ち続けます。
けれども、もう五時になって、ほんとうにどうしようかと泣く思いでいるところにブドウ畑の主人がきて、雇われたのです。
その男は、たった一時間しか働けなかったけれども、精いっぱいやって、一デナリもらいました。
みなさんは、この男の苦労というものを、どう思いますか。

価値観が違うと、とらえかたも違ってきます。
判断基準を、損得で見る人もいれば、善悪で見る人もいます。
どちらが正しい、間違っている、というのは時代や地域や条件が変われば変わるのです。
自分も他人も尊重できる人でありたいですね♪

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