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『歴史をつくった偉人のことば366』
2016年04月01日 23:39
『歴史をつくった偉人のことば366』
児童書『未来へふみだす勇気と知恵がいっぱい! 歴史をつくった偉人のことば366』が発行されました。
その日誕生日の偉人が、いろいろなメッセージを語ってくれる本です。
こんな感じです。
下をむいていたら、虹を見つけることはできない。
4月16日
世界の喜劇王
チャールズ・チャップリン
(1889~1977年 イギリス)
私の映画を見たことがある人は、少ないかもしれませんね。
私はたくさんの映画をつくりました。
ほとんどが白黒ですして、サイレント映画といって、セリフがない映画もたくさんあるのです。
セリフがない映画なんて、みなさんには想像できないかもしれませんが、味があって、いいものですよ。
私は、町の劇場でミュージカルに出ていた父と母の間に生まれました。
でも、父と母は私が生まれて1年で離婚し、私は兄といっしょに母に育てられました。
まずしい生活でしたが、まだ母といっしょにいられるだけよかったのです。
私が5歳のとき、具合が悪かった母は、舞台の上で、声が出なくなってしまいました。
お客さんからさんざんどなられて、舞台がめちゃくちゃになったとき、劇場の人が、私を舞台にひっぱりだしました。
お調子者だった私が、まわりの大人をよく笑わせていたのを見ていたからです。
私はそのときも楽しい歌をうたって、舞台をもりあげました。
これが私の初舞台です。
でも、そのあと、母が舞台にあがることはほとんどなくなって、母はそのせいで心をこわしてしまいました。
けっきょく、私は7歳のときから孤児院でくらすことになりました。
生きていくために、なんでもしました。
そのうち、劇場でのしごとをするようになりました。
お芝居が好きだったから?
どうでしょう、生きていくのにただ必死でしたから。
そして、劇団のアメリカ公演に出演したとき、私のお芝居が映画のプロデューサーの目にとまって、それからアメリカの映画に出るようになったのです。
それからは、山高帽に、ちょびひげ、だぶだぶのズボン――
そんなかっこうを考えだして人気を集め、たくさんの喜劇映画をつくりました。
私の映画は喜劇が多いですが、ただただ楽しいだけではありません。
そこには生きていく中での悲しみや、怒りや、せつなさや、風刺がこめられています。
白黒で見た目はちょっと古いけれど、ぜったい楽しいから、みなさんもぜひ見てみてください。
★きっとよくなるヒント★
偉人から生きる勇気と知恵を学ぶ。
このデジログへのコメント
ちなみに記憶が正しければ
チャップリンのお気に入りのステッキは
特注の日本製らしい
(  ̄▽ ̄)
なんかのテレビで紹介してた
SYUZO-さん:チャップリン日本びいきだからかな(*^^*)
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