- 名前
- イチゴちゃん
- 性別
- ♀
- 年齢
- 43歳
- 住所
- 茨城
- 自己紹介
- 毎日元気に働いてます ゆっくりだけど、はっきり喋ります^^ 嫌がらせを受けていたの...
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生い立ち~3歳から7歳
2016年03月05日 00:10
けっこう色んな方から、どういう人生だったのかって聞かれましたので
書きたいと思います。
重い話あり、暗い話ありなので
不幸自慢にしか聞こえないでしょうから、
不快に思ってしまう方は、ここの時点で読まないようにしてください。
まあ、順々に語るとして
物心ついたくらいからお話しますね。
3歳くらいですかね、部分部分で覚えてるくらいですけど
まず、自分が何歳かわかってなかったですね。
男、女の概念もなかったので
服が汚れてるとかも気にしないですし、そもそも汚いジャージみたいな服しか着てなかったです。
自宅はあるんですけど、私の寝床って
車庫なんですよ。
車庫の端っこに、錆びた棚があって
その棚で囲われた小さいスペースに、汚い毛布が1枚
あとは新聞紙が敷き詰めてあって、そこが私の寝床でした。
嘘だろ?って思っても無駄ですよ。
本気で、犬みたいな寝床が私のスペースでした。
因みに、物心ついた時点で
優しくしてくれる近所のおばあちゃんがいまして、
このおばあちゃんのおうちでご飯を食べて、車庫で寝るのが私の日課でした。
朝ごはんは無し、お昼ご飯も無し、夜だけおばあちゃん家に行って
ご飯を食べて、車庫で寝るだけ。
と言っても、私の場合は夜の間は起きてるんですよ。
夜って夏場以外、寒いでしょ?
だから、寒い時点で眠れないのがわかってたから
物心ついてから、そういう生活でした。
日の差す昼間は寝て、夕方に起きて、ご飯を食べに行って、夜中は起きてる。
これが当たり前のサイクルでした。
ちなみに、おばあちゃんは親戚でも身内でも何でもなくて
ただのご近所の優しい人。
小さいときは、そんなことすら分からなかったですけどね。
そんな生活が小学校入学まで続くんですけど
歯磨きとか、お風呂っていうのを教えてくれたのも、優しいおばあちゃん。
おはようとかいただきますを教えてくれたのも、おばあちゃん。
おばあちゃんがいなかったら、テレビで話題になる「幼児虐待」みたく
今頃生きてなかったんじゃないですかね?
今こうして生きていられるので、良かったですけど。
おばあちゃん家でご飯を食べて、車庫に帰ると
たまに父親や母親に遭遇するんですよ。
でも、私は優しくしてもらった覚えはまったく無くて
殴られたり蹴られたりするとしか、覚えてないですね。
だから、見かけるとすぐに寝床に隠れるか、どこかに逃げるかしてました。
機嫌が悪かったりすると、髪の毛を引っ張られて
蹴られるんですよ。
掃除とか言って、ホースを引っ張ってきて水をかけられたり
そのまま寝床の毛布も濡らされたりして、眠れなかったり。
一番嫌だったのが、細く切った竹の棒で叩かれることでしたね。
あれで叩かれると、顔だろうが背中だろうが皮膚が割れちゃって
血がいっぱい出るんですよ。
目いっぱい叩かれて、思い切り泣くんですけど
口を押さえられて、そのまま何度も叩かれて
痛くて1週間とか2週間くらい、動くのも辛いんですけどね。
お腹は空くから、おばあちゃん家に行くんですけど
その度におばあちゃんが手当てしてくれたり、病院に連れて行ってくれたり。
今思えば、私の保険証なんて無いんですから
かなりの金額だったでしょうね。
全額実費ですもんね。
大人になってから聞かされたんですけど、この虐待が原因で
病院の先生に手伝ってもらって、一度施設に入る予定だったみたいなんですよ。
でも、親(私は親と思ってないですが、皆さんが混乱すると思うので親と呼びます)が
三文芝居したとか何とかで、施設行きが無くなったんだそうです。
私自身、3歳とか4歳くらいですから
そんなのわからないですからね。
未だに父親の職業、知らないくらいですから。
どれだけ絆だの愛情だのが存在しないか、少しは伝わりましたか?
父親がいつも帰ってくるのが、6時過ぎくらい
母親は仕事をしてないらしいから、いつも家にいましたけど
いつもいるから嫌なんですよ。
昼間、私が寝ているのを起こしに来て
蹴るんですよ。
テレビが映らない、って叫びながら蹴られた覚えや
約束したのに来ない(これはまた後でお話をします)って言いながら、竹の棒で叩いたり
まあ、無茶苦茶でしたね。
こうなったら寝れないので、寒さで震えながら2日くらい怯えてたりしましたよ。
トイレしたくなると、家のすぐ横が森みたいになってるので
そこで用を足してましたね。
お尻を拭くって考えがなかった時は、そのまま服を上げてましたけど
おばあちゃんに「お尻を拭く」って教わってからは、葉っぱとかで拭いてました。
おばあちゃん家だと、ちゃんとトイレも紙もあるんですけど
おばあちゃん家まで10分くらい歩きますし、
小さい子供がそんなに我慢出来るわけないでしょ?
覚えてるのは、こういう事ばかりですよ。
楽しいことは、何もありませんでした。
何もない、何も楽しくない
何も感じない時期でしたね。
これが。物心ついてから小学校入学までの思い出ですね。
ここからは、小学校入学以降を書きますね。
まず、学校っていうものを教えてくれたのは、おばあちゃん。
ランドセル、筆箱、鉛筆、消しゴムを揃えてくれたのも、おばあちゃん。
これも大人になってから知ったんですけど、おばあちゃんのすぐお隣さんが当時民生委員さんで
色々とお役所と協議して、私を保護しようとしてくれたりとか、
親から離そうとしてくれたりとか、何かとお世話してくださってたみたいです。
おばあちゃんは近所でも人受けが良くて、人柄も優しかったので
こんな私にも優しくしてくださってたんでしょうね。
有り難いことです。
「いつか、変わるときが来る」って言い続けて
私を何とか施設に行かせず、家族と一緒に仲良く暮らせるように
私が知らないところで、父親や母親を説得してくれていたみたいなんですね。
結局、おばあちゃんの優しさはあのクソ親共には届かなかったですけどね。
小学校に上がってから、生活パターンが変わってきて
まず、夜の間中起きていられなくなったんですよ。
昼間は学校ですからね。
でも、学校は夏は涼しいし冬は温かいんですよ。
夏になると扇風機が教室に置かれたし、冬はストーブが置かれましたから。
学校が終わっても、車庫に帰るよりも教室の方が快適で大好きでしたね。
勉強は苦手でしたけど、その代わりに寒くもない暑くもないわけですから
授業は苦じゃなかったです。
頭は良くないですけどね。
何より、お昼にご飯が食べられるわけですよ。
そう、給食があるんです。
夜しか食事してなかったので、これは嬉しいし美味しいし
給食は今でもよく思い出します。
ただ、給食を食べるようになってから
夏は蚊に刺されるようになったんですよ。
それまでは蚊に刺されたことがなかったので、痒かったですね。
それだけ、栄養がない身体だったから
蚊もわざわざ血を吸いに寄ってこなかったんでしょうね。
それまでガリガリだったんですけど、給食を食べるようになって
自慢ですけど、かなりスタイルがいい子どもでしたね。
何が証拠って、モテましたから。
高校卒業するまで、男子にちやほやされなかった時期、全く無かったですからね。
コミュニケーション能力は低かったですけど
おばあちゃんの口調で男子に話すと、お菓子とか貰えるんですよ。
男子なりに、私の気を引こうとしてたんでしょうね。
当時の私としては、食べ物が貰えるから「おばあちゃんの優しい話し方」を真似してただけなんですけど。
初めての学校のイベントが、5月の運動会でしたね。
父兄が見に来ない、10月の運動会の予行練習みたいな運動会で
お弁当持参なんですよ。
お弁当を知らなかったので、「お弁当無くてもいいや」って思ってたんですけど
給食が出ないって思ってなかったので、知った時はショックでしたね。
おかげで空腹のままかけっこしたり、踊りをしたり
「早くおばあちゃん家に行って晩御飯食べたい」しか考えてなかったです。
ただ、小学校に入ると
おばあちゃん家にいる時間が多くなって、快適さが増しましたね。
トイレもあるし、もちろんお尻を拭く紙もあるし
テレビもあるし、扇風機もクーラーもある
こたつもあったし、ストーブもありましたから
世間の子ども並みの生活が手に入りましたよ。
でも、寝るのは相変わらず自宅の車庫でしたけどね。
ゴミ捨て場で拾ったお布団とか枕で、車庫の寝床も少しだけゴージャスになっていたので
夜は真冬でも眠れましたけど。
何でおばあちゃん家で寝なかったのか、今でもわからないんですけど
当時は私にもおばあちゃん家で眠れない理由があったんでしょう。
おばあちゃんがいつも「寝ていきなさい、連絡しておくから」って言ってくれていたのに
ちゃんと毎日、車庫の寝床に帰ってましたから。
と、3歳から小学校1年生(7歳)までを書いてみましたが
こんな生活をしている人は、他にもいるでしょ。
芸人さんで「ホームレス中学生」って本を書いた人もいましたもんね。
裏日記に続きを書きたいと思います。
掲載元
http://free-photos-ls01.gatag.net/images/lgf01a201308161600.jpg
このデジログへのコメント
ひさしぶり
そっか、辛かったね、、
書いてくれてありがとう
近所のおばあちゃん、今のご両親、良い人達に巡り会いましたね。
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