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成程話:回り道こそが成功への近道

2013年03月12日 22:22

成程話:回り道こそが成功への近道

ジョン・ケイ氏の心に響く言葉より

ハンガリー出身の心理学者、ミハイ・チクセントミハイは困難に立ち向かうことで得られる感覚を「フロー」という言葉で表現した。
彼の説明によれば、自分の限界と思われる程の困難を克服する為に、そこに全力を注ぐ場合に起きる「努力していることさえ感じない努力」が「フロー」だという。
フロー」は日常の仕事の中でも経験が可能だ。
例えば、私自身が「フロー」状態でいるのは講義セミナーが順調に進んでいる時である。
次の言葉を逃がすまいとする学生の沈黙が感じられる時、あるいは言葉が溢れ出るように執筆が進んでいる時にそれが感じられる。
仕事に限らず「フロー」はサーフィン野球といったスポーツの世界にも存在するし、作曲、彫刻といった創作活動でも同様のことが起きる筈だ。
しかし、どの場合も行動の目的はその行為自体であり、決して幸福になることではない。
チクセントミハイが学生に個々の精神状態レポートするよう依頼したところ、学生達は「フロー」とされる状態より、友だちと遊ぶ時間に幸福を感じると答えた。
フロー」状態にいる人は自分のしていることに夢中で、幸福を感じる暇がないということであろう。
ただし、この「フロー」体験は長い目で見ると当人の幸福感寄与している。
「なぜエベレストを目指すのか?」という問いに対して「そこに山があるから」という有名な言葉で答えたジョージ・マロリーがその死まで山に上り続けたこともここに起因すると考えれる。
チクセントミハイによれば「フロー」の体験者の多くは人生を振り返った時にその「フロー」状態こそ人生最高の瞬間であったと考えている。
一見幸福とは無関係なやり方、つまり回り道的に幸福を求めた方が、実際には幸福になれるのではないだろうか。
我々は不幸だと感じるような経験の中で幸福感を味わい、しかも、その幸福感は直接的に求めた幸福より大きいのだ。
人間は「どうすれば幸福になれるのか」という問いに対し、明確な答えを持たない。
オムツを換える、泣きわめく子どもに手を焼く。
回り道だが、それでも子供の面倒をみることは幸福につながる。
幸福とはそこにあることに気づく類のものであり、どこかへ探しに行くものではない。
アメリカ大陸を横断する最短ルート太平洋に出るルートを探した人ではなく、財宝を求めた人が発見した。
幸福も新しい領土の発見と同様、回り道をたどることで実現できるものである。
我々を取り巻く環境は単純とは言えず、むしろ非常に複雑であり、我々の環境に関する知識は断片的で不完全と言わざるを得ない。
したがって、我々は目標に向って一直線に進むことは不可能で、現実としては回り道をたどってそこに向う以外に方法はない。

想定外 なぜ物事は思わぬところでうまくいくのか?』ディスカヴァー


ジョン・ケイ氏は同書の中で「なぜ利益を追求しない会社の方が利益をあげるのか?」「なぜお金を追求しない人の方がお金持ちになるのか?」「なぜ幸福を追求しない人の方が幸福になるのか」という、意思決定のパラドックスについて述べている。
そして「どこかを目指すなら、反対方向に進むこともひとつの選択肢だ」、とも言う。
儲けたい儲けたい、とずっと毎日念じているような人は儲けることは難しい。
儲けられる人の側に立てばわかるが、それは損をするということであり、そんなガツガツした人は嫌われる。人を喜ばせたい、もっと皆が驚くものや面白いものを作りたいと思っている人の方が、結果として後から利益はついてくる。
フロー」とは無我夢中、我武者羅(がむしゃら)に好きなことをやり、人を喜ばすことをやること。
フロー」は損得ではなく「ただひたすら」。
「回り道こそが成功への近道
ただひたすらに、損得を考えず、人を喜ばす人でありたい。

このデジログへのコメント

  • なな♪ 2013年03月13日 14:14

    ケムンパスさん:ですよね。遠回りが近道の時もあります

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