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成程話:頭を垂るる稲穂
2012年07月19日 22:38
松下幸之助氏の心に響く言葉より
前田利家のところへ、ある時、福島正則から鯉を二匹贈ってきた。
そこで利家が家来に礼状を書かせたところ、その家来は利家の方がはるかに先輩でもあり、身分も上であるところから、ごく簡単な形式的な手紙をしたためた。
それを見た利家は「公式の文書であれば、決まった書式もあるだろうが、このような手紙はできるだけ先方を敬い、“お心にかけて頂きかたじけない”というように丁寧に書くものだ。特に目下の人への手紙は丁寧に書けば書くほど先方はうれしく思うものだ。目下だからといって見下した書き方をすれば、いかにも自分とお前とはこれだけ位がちがうといわんばかりで、そんなことは小身の愚か者のすることだ」といって書き直させたという。
前田利家といえば、信長、秀吉につかえた歴戦の勇将でもあるが、その篤実な人柄で人々の信望もあつく、この人が生きていたら家康もたやすくは天下をとれなかっただろうとさえいわれている。
そのように利家が人望を集めたのは、ここに見られるように、非常な高い地位に昇りながら、それにおごることなく、極めて謙虚に人に接したことが大きな要因をなしていると思う。
地位が高くなればなるほど周囲の人はその人自身よりもその地位に対して敬意を表するようになる。
それになれると人間はともすれば傲慢になり態度も横柄になってくる。
そうなっては人々は表面的には敬意を払っていても段々心の中ではその人に対する尊敬の念を失い、心服しなくなってしまう。
それではもはや指導者として、人々を動かし力強い活動をしていくことはできないだろう。
昔から“実るほど頭を垂るる稲穂かな”ということばがあるが、まことに指導者のあり方をいいえて妙なものがあると思うのである。
『指導者の条件』PHP研究所
昔、学校の運動部や上下関係の厳しい会に在籍していた人は自分より目下の人の名前を呼び捨てにしたり、命令口調の乱暴な口をきいたりするような傾向が多い。一学年違えば先輩後輩という関係も、ある時期には必要ですだが、学校を卒業して何十年も経って同じような対応しかできない人は傍から見ていても見苦しい。思い上がったり横柄だったり偉そうにすることは人としてもっとも恥ずべきこと。でも、往々にして、傲慢な人ほど自分が傲慢だとは気づかない。それは傲慢さは「身勝手」「利己的」「我が侭」「独善的」「思いやりのなさ」等々自分だけが可愛いという自己中の最たるものだからです。目下の人であればあるほど丁寧な口をきき、敬意を持って接すること、それが大人の対応。いつまでも子供の応対しかできないようでは恥ずかしい。年をとればとるほど地位があがればあがるほど「頭を垂るる稲穂」でありたいな。
このデジログへのコメント
確かに言い得て妙だね(*・ω・)
-Q-さん:こういう所が他と違う所なんだろうな
むほうまつさん:ですね
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